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忌み子の嫁入り



「男とも女とも言えません」
小さな身体に布を巻いてやりながら、賢者は王と妃に告げた。膚は羊水に濡れ、まだ瞼も開けられない様子だった。元気な産声をあげている。王と妃の、長年待ち侘びた世継ぎとなる筈だった。
「抱かせてくれ」
逡巡した賢者から、王は我が子を取り上げた。子どもは自分の白金の髪を受け継いでいる。王が抱けば泣くのを止め、声に反応し微笑んだ。愛おしさと、悲しみが綯い交ぜになって、武骨な男が涙を落とす。美しい妃は自らを責める気持ちを強くした。顔を手で覆う。
「・・・さあ王、こちらへ。残念ですが、あなたの子とて生かせません」
高齢の賢者は、その皺だらけの手を伸ばした。王は離そうとしない。賢者は静かに、なりません、と言った。
「良くご存知のことでしょう。伝承にありますように、魔物を呼び寄せてしまいます」
「かつてその圧倒的な力で、人間を皆殺しにした」
深く頷いた賢者を、王は鼻で笑う。
「気の遠くなるような昔の話、お伽噺だ。貴方も、長く生きてはいるが伝承を継いできただけだ。その場にいたわけじゃない。現に、伝承では皆殺しにされたとなっている我々が今こうして繁栄しているのはなぜだ?」
「・・・忌み子は生まれたその時に間引くのが決まり。珍しいことですから数は多くありませんが、今までそうして来たのです。国民にどう示しをつけるおつもりですか」
隠し通せばいい、と言おうとして王は、目を凝らす。何か動物の頭骨のようなものが浮いているのを、壁の蝋燭の灯りが照らしている。渦を巻く2本の角は、羊を思わせた。息を呑む。それは浮いているのではない。背の高い、異形の者が立っているのだった。この世のものとは思えない。王はぞっとして、思わず声をあげた。突然叫んだ王を、賢者と妃が不思議そうに見つめる。2人には見えていないのだ。
王は後退る。魔物が賢者の肩に触れた。糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた賢者に、妃は悲鳴をあげる。魔物は妃にも触れた。妃もまた、賢者と同じように意識を失う。寝台、妃の傍らに腰を降ろし、魔物は長い足を組んだ。
『・・・眠らせただけだ。私は、無用な殺戮は好まない。もっとも、かつて人の地に降りた私の祖先は人を殺すのが堪らなく好きだったらしい。貴殿の質問に答えるなら、生かしたのだ。皆殺しというのは、人お得意の誇張表現だと推測する。所詮、伝承、お伽噺に過ぎないのだから。そうだろう?・・・人の王よ』
王にその不気味な貌を向ける。大きなふたつの眼窩は、黒く深い。王は未だ嘗て感じたことのない恐怖を味わっていた。逃げろ、と本能が告げている。
『何故生かしたか、解るか?』
腿に片肘をつき、魔物が言った。青ざめるばかりの王を暫く眺め、自らが投げた問に答える。
『稀に、我らの世界に有益な者が生まれるからだ』
柔らかな布の下でむずがるように動いている我が子を、酷い寒気に奥歯を鳴らしながら、王は胸に抱きしめる。
『代々魔王にしかわからない香りがするその者は、成長するに従って強い香りを放ち、存在を知らせるという。私は今、この者があまりに小さいので驚いている』
魔物は腕の中の白い布を覗き込んだ。小さ過ぎると呟く。王はつい先まで触れていた筈の温もりが失われたことに気づき、呆然とした。
「・・・き、貴様っ!イヴエラを返せ!」
ほう、と魔物。良い名だと王を讃えた。
『8年後に迎えをやろう、イヴエラ。その時は、私の花嫁だ。・・・印を残そう。これで誰も、君を傷つけることはできない』

蝋燭の火が全て消え、王は冷たい暗闇に包まれた。腕の中に戻った温もりを、確かめるように抱きしめる。安らかな寝息が聞こえている。明かりを灯すのが恐ろしく、夜が明けるまで、そうしていた。




魔王が連れ去ってしまったのだと王が言えば、賢者も妃も疑うことはなかった。子は、死産であったと報せられた。


城には、地上へ続く隠し通路があった。通路は地下、そして地上に続いており、通路の途中には物置と化した大きな牢獄がある。王は子を、その牢に匿った。

魔王の言った「しるし」など、その小さな身体のどこを探してもなかった。普通の子どもと何も変わらないと王は自らに言い聞かせる。あれは幻だったのではないか。

王の淡い期待は早々に打ち砕かれた。

子は、何も口にすることがない。人間の乳も、ましてや動物の乳も飲まなかった。水、果物、肉、魚、あらゆるものを与えたが、結果は変わらなかった。吐いてしまう。食物を肉体に取り込むことがなければ、また従って排泄することもない。何か特別なものを食べるのだろうかと、王は誰にも相談できずに気を病んだ。しかし、王の憂いをよそに、何も口にすることなく子は成長した。




「魔王は、人間達に言った」
王が絵本の頁を捲る。胡座をかく王の右足に座ったイヴは、身を竦める。

『ここにあることはわかっている。ネクタルを差し出せ。さもなくば、皆殺しだ』

恐ろしい声色で、王は魔王の台詞を読み上げた。イヴは逞しい父の胸に顔を押し付け、鼻をすする。
「・・・怖いか」
王の問いに、抱きついたまま、頷いた。目をぎゅっと閉じる。挿絵の魔王が脳裏に浮かんだ。
人間の屍の山の上に座する魔王。その手は鱗に覆われ、指先には鋭い爪がある。冠の下にあるべき頭部は、塗り潰されたように真っ黒だ。恐ろしくてたまらない。
「ぱぱ、」
ぐずぐずと泣きじゃくりはじめたイヴ。潤む瞳で王を見るも、冷たい声に突き放される。
「この者がどれだけ恐ろしく、憎むべき存在であるか、私はお前に知らしめておかなければならない」

王は滔々と続きを語った。


人間のひとりが、ネクタルを魔王に差し出しました。それはそれは美しい器でした。魔王は、器になみなみと注がれた液体を、美味しそうに飲み干します。
『噂に違わぬ。これで神をも殺せよう。人間など、造作もない』
そう言って笑い、魔王は人間を皆、殺してしまいました。


王は10代の頃に神学を学んだことがある。神や悪魔、天界や魔界に関する学問だが、興味があったからではない。国を治める王となるために必要な教養とされていたからだ。他の学問と同じように、王のために遠方から専門の賢者が複数人招かれていた。賢者の一人が言っていた言葉を、王は折に触れて思い出す。

神や悪魔は実在しない。神学は、文学もしくは民俗風習の一部にすぎない。

当時は同意していた。今は、違う。

あの日から、王は様々な神学者達に助言を求め、情報を掻き集めている。正典と呼ばれる書を数十年来に再読し、膨大な古典、論文を片っ端から読んだ。王は、確信している。

ネクタルとは、忌み子のことだ。

「魔王とネクタル」は、正典の中でも最古のものであり、広く伝播している。王自身も幼い頃母に聞かせられた。地域によって言い伝えの子細は異なることもあるというが、魔王が現れネクタルを求め、人間を殺すという大筋は全て同じだ。救いのない結末、何の教訓もない。幼い頃は王も恐れていた。世を知るうちにその恐怖も消え、つまらない嘘の物語だと軽んじ、思い出すこともなくなった。この物語を自分の子どもに聞かせる日が来るなどとはつゆほどにも考えていなかった。


「パパ、まおうと同じの、かぶってる・・・」
はずして、とイヴが王の冠を取る。王はその無垢な瞳を見つめた。王は思う。一国の王であることなど、この子を守るのに何の役にも立ちはしない。
「イヴ、魔王が私からお前を奪うだろう。・・・私はこの魔物に、近づくことさえできない」
大きな手がイヴの美しい白金の髪を撫で、左耳の飾りに触れる。イヴがまだ4歳の時に王が与えた耳飾りだ。白く柔らかな耳朶の上、繊細な金属にかしめられた乳白色の鉱石が静かに座っている。
「この石で剣を作っている。魔を封じる石だ。錬成に時間がかかっているが、7歳の誕生日には間に合う」
イヴは首を振った。
「つるぎなんか、いらない・・・。外にでてみたい。ぼく、友だちがほしい・・・」
潤む大きな緑色の瞳が伏せられる。その非力でいとけない様子に、王ははがゆくなる。もう猶予がないというのに。


耳飾りが輝いている。


小さく首を振り、王は頭に浮かんだ考えを打ち消した。




城の至るところに奇妙な魔除けを施し、公の場に姿を現すことがない。城に籠もって魔王を倒すための武器を開発している。王は気が狂ってしまったのではないかと噂が立ちはじめていた。いかがわしい新兵器開発の噂は他国を脅かし、刺激している。子を失った悲しみから現実逃避をしているのだと目を瞑っていた国仕えの老賢者も、口煩く王を諌めるようになっていた。

周りの声など聞こえはしない。王はのめり込み、没頭する。そうしている間は、不安と恐怖を忘れられた。


7歳の誕生日、王はイヴに短剣を見せた。採掘されたままの小さな原石に金具を取り付けただけの耳飾りとは違う。複数の鉱石を結合させる技術を確立するまで、膨大な時間と労を要した。水で研いだその刃は、鋭く煌めいている。
イヴは首を振った。受け取ろうとしない。王は剣の入った箱を机に置いた。我が子に手を伸ばす。
「パパなんか、だいきらい・・・っ」
イヴが失望に震えた。裏側からしっかりと溶接された耳飾りを無理矢理引きちぎり、父に向かって投げる。切れた左の耳朶から血が流れ、首と服を汚した。床に落ちた結晶は砕けている。言葉を失った王の表情は、イヴが初めて見るものだった。自分の失望など遥かに凌駕する父の絶望を感じ、恐ろしくなって足がすくんだ。耳朶が熱をもち、鈍く強く痛む。涙が溢れた。王は石と金具を拾い、大事そうに布に包んだ。しゃくりあげるイヴを残し、青褪めた顔で足早に立ち去る。


(謝ればいい)
嗚咽を漏らしながら首を振る。父はもう来てくれないかも知れない。

驚いて、顔を上げた。
「・・・だれ?」
辺りを見回すが、誰もいない。

(イヴ、僕は君の中にいる)
「・・・なか?」
こわごわと問う。
(そう、君の中。だから、君が耳を塞いでも僕の声は消えない)
イヴは耳を塞いでみた。
(ずっといた。君と同じものを見ていた)
目を見開く。声は変わらず響いている。すごい、とイヴは言った。
(あの耳飾りが邪魔だった)
耳飾り。壊すつもりはなかった。父の顔を思い出し、イヴはまた泣き出しそうになる。
(大丈夫、父さんはまた持ってくるよ。・・・僕は、つけて欲しくないけれど)
「つけてると、お話できないの?」
(そうみたいだ)
「・・・あなたは何?どうして僕の中にいるの?」
(僕が何なのか、どうして君の中にいるのか、僕にもわからない。・・・時々断片的に記憶が蘇る。でもまだ足りない。最初は自分を人間だと思っていた。父さんも、最初はただの人格の分裂、精神の異常だと思っていた。それが、僕だけ石の力に阻まれる。僕は魔物なんだろう。少なくとも、父さんは僕を魔物だと思っている)
イヴが硬直していることに気づき、声は問うた。
(怖い?魔物かもしれないけれど、僕は君が悲しむようなことはしない。人間も殺さない。この身体を奪って君に成り代わるつもりも、ない)
「ほんとう?」
(本当。それに、あの物語の魔王のような恐ろしい力は、僕にはない)
イヴはほっとする。
「・・・あなたの名前は?」
(僕・・・僕は、エラ。父さんがつけてくれた。・・・ああ、尤も、僕が魔物なら、あの人は、僕の父じゃない。僕の名を知り、呼ぶ人は、もういない)
寂しそうな声に、イヴは胸が苦しくなった。
「・・・ぼくがよぶ。ぼくじゃだめ?」
沈黙の後、駄目じゃない、と小さな、震える声が聞こえた。
(ありがとう)
イヴは気持ちが高揚するのを感じた。初めての気持ちに、戸惑う。
(・・・イヴ、いいことを教えてあげる)
「いいこと・・・?」





砕けてしまった鉱石を時間をかけて溶かし、結合させる。原石だった結晶は美しい玉になった。耳飾りを手に、王は地下への階段を降りる。王の気配に、イヴは牢の格子に走り寄った。
「パパ、ごめんなさい」
項垂れる子に、王の心は苛れる。牢の鍵を開け、中に入った。
「痛かっただろう。馬鹿なことを・・・。耳飾りは、魔物からお前を守るものだ。決して、外れぬようにしていたのに」
乾いた血がこびりついた耳に触れる。薬を塗った。
「パパ、あのね、ぼく、外に出たいの。誕生日でしょう?少しだけでもいいから」
王は耳飾りの金具を開く。
「それはできない。お前は、外に出てはいけない。さあ、右の耳を」
イヴは後ろ手に握っていた短剣を出した。自らの細く白い首に、切っ先をあてがう。
「・・・お前の中の魔物の仕業だな。話をしたんだな?そうだろう?・・・小賢しい入れ知恵を」
王は短剣を握るイヴの手が、震えているのを見る。大きな瞳を覗き込んだ。
「イヴ、あんなものの言うことを聞いてはいけない。あれは魔物だ。魔王の下僕だ。お前が生まれた時に、魔王がお前につけたしるしのひとつなのだ」
「エラは、こわくないもの。魔物でもいいの、ぼく、ぼく・・・」
ぽろぽろと涙が落ちる。
「えらをぼくからうばわないで。うばうなら、ぱぱが、ずっとぼくのそばにいて・・・」
「イヴ・・・」
王は、イヴの手から優しく短剣を取り上げた。掌で涙を拭ってやる。側にいられたらどれほど良いか。眉を寄せ、目を閉じる。大きく溜息を吐いた。
「約束しなさい。エラに心を許さないと」
「えらは、ぼくがかなしむようなことはしないの」
優しい我が子は既にほだされている。王は小さな身体を強く抱きしめた。

「エラに、心を許してはいけない。魔物は、お前を利用しようとしているのだから」




王に手を引かれながら、廊下を進んでいた。廊下の奥は暗く、何も見えない。王の手元の燭台の灯りが、白い岩の壁と床をかろうじて照らしていた。初めて外に出られるというのに、イヴは別のことを考えている。そわそわと落ち着かない。
「息を潜めているのは、私を警戒してのことだろう。エラは賢い」
イヴの考えを察して、王が言う。エラの名を呼んでいるのに、ずっと返事がなかった。耳飾りもしてない。あの短剣も王が腰に下げ、イヴは触れていなかった。王を見上げる。背の高い王。イヴからはその耳と顎が見えるばかりで、表情は伺えない。
「・・・私の子どもイヴエラは、年相応の拙い言葉、何も知らないという無垢な顔で私に絵本を読んでとせがむこともあれば、人が変わったように年齢にそぐわぬ大人びた言葉を遣い、難解な書物の一文を諳じてもみせた。私は最初、お前がふざけているのかと思っていたが、そうではなかった。1つの身体を共有した、別の魂だったのだ。私はイヴエラを、イヴとエラ、それぞれに呼び分けることにした。お前が4歳の時だ」
王が足を止めた。イヴを見る。
「エラは私の希望だった。エラなら、魔王を倒せるかも知れないと私は思っていた。あの鉱石を発見したのもエラだ。古い本の僅かな情報から、魔除けの石と、その石が採掘できる山を特定した。手に入れた原石で、私はすぐに耳飾りを作ってお前に着けた。その時からだ。エラは現れなくなった。・・・私は、耳飾りが決して外れぬように、裏側から金具を溶接した」
膝を折り、王はイヴに目線を合わせた。炎が揺らめいている。
「私は怖れ、掌を返したのだ。エラは、私を父と慕い、信頼してくれていたのに」
王はその精悍な顔を歪ませた。
「だが、私が愛し、私の愚かな愛によって魔王に目をつけられてしまった私の子は、お前なのだ。お前を守るためなら、私は何だってするだろう」
イヴは王の瞳の中に、自分を見る。思わず、目を反らした。俯く。嬉しくて磨いた、真新しい靴が見える。少しきつかったが、無理をして履いていた。
「パパ、あのね、あのね・・・やっぱり・・・ぼく、いかない」
王はイヴの髪を撫で、唇を落とす。
「いや、お前は外に出てみるべきだ。・・・エラも、お前から遠ざけるべきではなかったのかもしれない」



廊下の先には階段、階段の終わりには、一見壁にしか見えない扉があった。王は重い扉を押す。隙間から、明かりが漏れた。その眩しさに、イヴは目を細める。通路は、城の敷地の一部である広大な森、その一角にある小屋の中に繋がっていた。
「昔は雇った木こりに使わせていたが、それももう随分前からいない」
イヴは見渡す。粗末な造りのあばら屋だ。かなり古い。天井の木材が所々朽ち、穴が開いていた。むき出しの土の床には、草が生え、到るところに生き物の出入りが伺える、いくつもの痕跡がある。ただでさえ粗末な寝台も棚も、何もかもが荒廃していた。牢の中に王が用意した調度品の美しさを、イヴは相対的に知る。王は小さな手を、離した。
「私はもう行かなければならない。太陽が沈む前には地下に戻りなさい。・・・いいね、イヴエラ」
イヴは王を見上げた。柔らかい陽射しの中の王は美しく、その荘厳さで、イヴの心を打つ。



「・・・エラ、いる?」
恐る恐る、呼んだ。
(いるよ、イヴ)
聞こえた声に、イヴはぎゅっと自分の身体を抱きしめる。
「よかった、エラ、エラ、どこにも行かないでね」
(どこにも行かないよ)
震えた。怖いのでも、痛いのでも、不安でも、嫌でもないのに涙が流れる。
(嬉しいな。泣いちゃうほど嬉しい?)
優しい声だった。嬉しい。イヴは言葉を反芻する。こくこくと、何度も、温かい涙を拭いながら頷いた。




小屋には方位磁針やいくつかの地図、鞄、筆記用具もあった。イヴはエラの提案で城の麓、小屋から一番近い町へ向かっていた。木の幹、目線の高さにナイフで掌ほどの十字の傷をつけながら、イヴは夢中で森を歩く。初めて見るものばかりだった。
「エラ、見て!」
イヴの目の前に現れた、ふわふわと白い小さな獣。さっと茂みの奥に逃げてしまう。
(兎かな。森だから、他にも動物がいるだろうね)
「さわってみたい」
(じゃあ、捕まえないと。探して捕まえるのは難しいかもしれないな。・・・罠を作ってみようか。道具は、小屋に戻ればありそうだ)
「わな?」
(うん、一度、本で読んだことがある)
「エラが作るの?」
(違うよ、イヴが作るんだ。僕が教えるから)
イヴはむずむずした。嬉しいのだけれど、それだけじゃない。この気持ちに、思い当たる言葉があった。
「エラ、あのね、ぼく、いま、とってもたのしいの。今までで、いちばん」
うん、とエラが言う。
「・・・エラは?エラも、そうだったらいいのに」
エラが笑った気がした。イヴは祈るような気持ちだった。
(僕も楽しいよ)
嬉しくて、たまらなかった。頬が緩み、足が軽くなる。跳ねるように歩いた。
(イヴ、転ばないようにね)
エラが笑う。






森を出てからは、城壁に沿って進んだ。エラの指示で何度か地図に印をつける。人とすれ違うことが多くなった。子ども1人でいるイヴを、大人が不思議そうに見る。
(イヴ、もう一度地図を見たい)
エラはイヴと視界を共有していた。イヴは地図を広げる。
(うん、ここはもう町だ。この道を左へ。大通りへ行ってみよう)
イヴは頷いた。靴は相変わらずきつかったが、痛みや疲労はない。

沢山の人に紛れた。頭上で人の声がする。イヴの知らない言葉もあるようだった。後ろを振り返る。不安になった。戻るには、この沢山の人の流れに逆らわなければならないだろう。
「帰れなくなっちゃう」
(大丈夫。帰る時は別の道を使うんだ)
少し進んだところで、人混みの圧迫する息苦しさから開放された。大通りへ入ったのだ。足を止めたイヴを迷惑そうに、人々が追い越していく。辺りを見回した。人の声で賑わい、圧倒されるほど活気がある。
(市場、かな?僕も初めて見るから正直わからない。両脇に並んでるのはお店だと思う。店主がいて、商品を並べている。客は商品を見て、欲しい物があれば自分の持っている物やお金で交換するんだ)
「見てもいい?」
もちろん、とエラが言った。


通りの両側にずらりと店が並んでいる。中央にも店や、店のかたまりがあり、広い通りの中で細い道を作り出している。迷路のようだ。イヴとエラはまず、右手から順番に見ることにした。

最初の店は果物屋だった。色とりどりの瑞々しい果実がそれぞれの箱に分けられて積まれていた。果物を切っていた店主が、おいしいよ、とイヴに一欠差し出す。イヴは受け取った果実を不思議そうに見た。
「知らないのかい?食べるんだ」
店主は笑って、切っていた1つを自らの口に入れて見せる。イヴも倣ったが、あまりの苦さに吐き出した。店主は、子どもは皆この甘いのが好きなものだけど、と申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい」
期待を裏切ってしまったのだと感じた。
「いや、いいんだよ。ところで君、家族とはぐれたのかい?」
エラが行こう、と促す。


並んでいるのは食べ物の店らしかった。どの店も肉、魚、野菜、それらを乾かしたものや、味をつけて調理したものを並べている。声を掛けられないように、イヴはそれらを遠巻きに見た。肉の店では生きた動物を目の前で捌いていた。切り落とした部位を店主が高く掲げ、手を上げた客に売り渡していく。
「首のところを切った時に、お店の人が何か言ってたのはなに?」
(父さんも、ものを食べる時に言っていた。まじないの言葉だと思う。感謝しているんだ)
「感謝?ごめんなさい?それとも、ありがとう?」
両方だよ、とエラは言った。
(心に深く感じたとき、はっきりと言葉で伝えることを感謝というんだ)




人だかりができている。イヴは足を止めた。
(行ってみる?)
頷く。大人が垣根になって、近づいても見えなかった。
「皆、何を見てるの?」
エラがわからないと答える前に、イヴの隣りにいた男が言った。
「路上パフォーマンスをしているのさ。どれ」
ひょい、と長身の男に抱えられて、イヴの身体が宙に浮く。肩車されていた。
「見えるかい?」
絵だ。イヴは頷いて、男にありがとうと言った。見物客に背を向け、年老いた男が絵を描いている。キャンバスは既に薄い色で塗られていた。薄い色から、少しずつ濃い色を重ねているようだ。
「何の絵かな」
エラにしか聞こえないように、イヴは囁く。
(僕にもわからないよ、イヴ)
エラの声は微笑んでいた。絵描きは大きな筆から細い筆へ変えていく。完成したそれは、風景画だった。森の中の滝。わあ、とイヴは声を挙げる。実物を見たことはない。それが滝というものであること、激しく落下する水だということもわからないのに、清涼な空気を感じた。絵描きの老人が立ち上がり、振り向いて頭を下げる。皆が手を叩いている。イヴも小さな手でぱちぱちと音を鳴らした。
「素晴らしいだろう?彼は有名な画家だ。正確な描写に、鮮やかな色彩。中々お目にかかれない人だ」
イヴを下ろして、男は言う。見物していた客が引き、残った客は絵描きの付き人と商談をしていた。他にも沢山の絵が飾られている。動物、人物、宝石、果物。すごい、とイヴは溜息を吐く。
「ねぇ、エラ、こんな風に絵が描けたらきっと凄く楽しいね」
絵描きの老人が、イヴの隣に立った。イヴに何事かを言っている。目を丸くして、イヴは困惑した。知らない言葉だ。
(珍しい小さなお客さん、気に入ってくれたかな?だって)
わかるの?とエラに問いたかったのに、イヴの口はイヴの知らない言葉を紡いだ。老人はそれに答えるようにまた何事かを言った。口の感覚が戻る。老人は呆然とするイヴの両手を握って、微笑んだ。誰かに呼ばれて、行ってしまう。
「エラ、今、ぼく、変だった」
(口を少し借りたんだ)
ごめんね、とエラは悪びれずに言った。



布や服、水瓶や食器の店を通り過ぎた時、エラがイヴに声を掛けた。異質な黒いテントに、入りたいと言うのだ。
「本当にここに入るの?」
他の店からはすこし外れたところにぽつりと立ったそのテントは、ただならない存在感を放っている。
(移動書店だ。僕は運がいい。・・・この店は本を売っているんだ。それも、この国の本だけじゃない)
エラが言った。嬉しそうな声に嫌とは言えず、イヴは意を決して中に入る。テント自体は広いが、中は長く高い本棚と床に積まれた本で足の踏み場がない。崩さないように気をつけながらイヴは奥へ進む。
「いらっしゃい」
イヴは驚いて思わず小さな悲鳴を上げた。声の方を見る。本棚のあわさ、暗がりから顔を出す眼鏡の男と目が合う。
(きっと店主だ。イヴ、僕が探してる本を伝えてくれる?)
エラが何か言葉を言ったが、イヴは覚えられなかった。不思議な響きだった。
「めた・・・?」
(イヴ、少し目を閉じて、呼吸は深く、身体の力を抜いて。眠るような感覚だ)
イヴはエラの言葉に従う。
「μεταμορφ?σει?はありますか?」
イヴは自分の口から発せられた言葉に驚いた。イヴは言っていない。先と同じだ。店主が頷いて、イヴを手招きする。
「ここにある。取ってやろう。名作だ、向こうなら発行部数も多く叩き売りだが、ここでは少し値を頂く。お前、ギラスの言葉がわかるとは見どころのあるガキだ」
イヴの手が、男から本を受け取った。イヴは、動かしていない。感覚がなかった。手だけではない、目も、足も。イヴは紙の上にびっしりと印字された黒い異国の文字を、ただ見ていた。見せられていたと言ってもいい。黙って本の中を検める子どもに、男は続ける。
「θεογον?αは?」
「読みました。ギラスのめぼしい神話の本は、全て。あとはこれだけなんです。探している答えがここにあるかは、わかりませんが」
本を閉じた。
「そうか。代金はどう払う?この国の通貨なら、5ジェンだ」
「すみません、通貨は持ち合わせていなくて。これでもいいですか?」
鞄から地図を出し、男に渡す。
「ほう・・・。これは、メシポトの地図か。正確だな。宮殿もしっかり描き込まれている。古代の、帝国が滅ぶ前のものだ。紙がやけに新しいのは、写しだからか?・・・・・・まぁいい、知り合いの考古学者に高値で売れる」
これなら何かもう一冊つけてやろう、と店主は言った。




エラがイヴを呼ぶが、イヴは答えない。桜色の唇を固く結んで、黙々と歩く。
(イヴ、こっちはさっきも通った道だ。地図を開いて。・・・断りなしに、勝手に身体を使ったのは、僕が悪かった)
イヴは聞こえない振りをした。
(昔は2人で身体を譲り合っていたんだ、あんな風に)
道の端で立ち止まる。そんなの知らない、とイヴは言った。
「ぼくになりかわるつもりはないって、言ったのに」
口を利いてくれたことに、エラは少しほっとする。
(君に成り代わるつもりはないよ。本当に少し、借りただけだ)
「・・・絵描きさんには何を言ったの?」
(僕もあなたのように絵を描いてみたい。あなたは何か絵の描き方を記した書籍を出版していますか?って言ったんだよ。イヴ、鞄に入っている本を見て。大きい方だ)
イヴは背負っていた鞄を開いた。厚い方の本を取り出す。
(Painting Methods、教えてもらったあの画家の書いた本だ。本の店の店主に尋ねたら、探してくれた)
絵の教本だよ、とエラが言った。
(僕が翻訳して読み上げるから、一緒に見てみよう)
開けば、異国の文字といくつもの絵があった。イヴはぎゅっと本を抱きしめる。
(・・・イヴ、まだ怒ってる?)
首を振った。
「ぼく、エラに感謝してる。・・・ごめんなさい、ありがとう。エラは・・・エラは、ぼくにはできないことがたくさんできるの。それが、ぼく、とても・・・」
うらやましい、とイヴは小さく呟く。エラはその消え入りそうな言葉を、ちゃんと聞いた。
(僕が普通じゃないのは、魔物だからだ。記憶がないだけで、きっと僕は、君よりもずっと永く生きている。・・・この身体は君のものだよ、イヴ。僕のじゃない。どうしてだか、それだけは強く感じている)
安心して欲しいと言うエラに、イヴは曖昧に頷く。そういうことじゃないの、と言いかけて止めた。ではどういうことだろうかと考えるが、わからなかったからだ。何か苦しい気持ちが、イヴの中で燻った。






「入ってるかな・・・ぁ!」
しゃがみ込んだイヴが声を挙げる。木の枝で作った罠の中で、茶色い毛の動物が動いていた。
「茶色い、うさぎ?」
(・・・いや、熊だと思う)
「くま?」
イヴは罠を開いた。罠から出た小さな獣は、草の上にころんと転がる。きゅうきゅうと鳴き、困ったような表情、つぶらな瞳がイヴを見た。イヴは口元に手をあてる。
「かわいい・・・!エラ、さわってもいい?」
(子どもがいるってことは、)
がさ、と離れた茂みで音がした。イヴは視線を上げる。大きな熊がこちらを見ていた。息を呑む。熊から、怒りを感じた。イヴは声も出せずに、尻もちをつく。
(イヴ、いいかい、声は出さないで。呼吸を整えて気持ちを落ち着けてくれたら、交代できる)
イヴは小さく首を振った。できない、と漏らす。
(わかった。熊から目を離さないで。このままゆっくり後ずさるんだ。背中を見せないように)
エラの指示に従って、イヴは熊から離れた。熊が唸る。力強くこちらへ走ってくるのを見て、イヴは駆け出した。
(イヴ!)
無我夢中で森の中を走る。何度かエラと散策しているが、どこを走っているのかなどとうにわからない。いつもは通らないような場所を走っている。随分あった熊との距離はたちどころに短くなった。息が上がる。ずる、と足が滑って、イヴは急斜面を転がり落ちた。



身体の感覚がない。エラが身体を使っているのだとすぐに気づいた。エラを呼ぶ。
「イヴ、気がついたんだね。・・・ちょっと待って。傷口だけ水で洗うから」
(エラ、ここはどこ?)
見えるのは、足元と大量の水。
「滝の淵にいる。あの坂を落ちて、ここに来たんだ」
(たき?)
エラが視線を上げ、イヴのためにぐるりと周りを一望する。離れたところで大きな音を立てて大量の水が落下していた。市場で見た絵描きの画を思わせる。
(すごい・・・)
「肘の傷の土を洗い流したら、代わるよ。全身が痛いけど、水にも触れてみたいだろう?」
(さわる!)
わくわくした。エラが肘に水をつけようと屈む。水面に映る見慣れている筈の自分の顔を見て、イヴはまた驚いた。
(ぼくなのに、ぼくじゃないみたい。目もとがきりっとしてるの。くちもとも。エラ、こんな顔してるの)
エラが微笑む。
「これは君の顔を借りた僕の顔だ。僕はイヴの顔のほうが好きだな」
交代するよ、とエラが言った。
(・・・すき?)
どきりとしたのも束の間、イヴは素足を撫でる冷たい水の感覚に、心を奪われた。冷たく重い流れが、肌に吸いつき撫でていく感覚。身体の到るところにある擦り傷の痛みも、気にならなかった。滝の方へ近づく。
(滝の下の地面は削られて深くなっている。危険だから、滝の直下へは行ってはいけないよ)
イヴは頷く。徐々に深くなる淵。たっぷりの水がイヴの腰を、腹を、肩を、順に濡らした。そして、滝壺はとぷんと、イヴを飲み込む。水に身体を預け、イヴは浮いた。
「エラ、みず、すごいの・・・きもちいい・・・」
うっとりと目を細める。飛沫が、イヴの顔を湿らせる。睫毛についた細かな水滴が、次第に重たくなり、輝いた。頭まで水に浸かってみる。柔らかい髪が広がり、水に漱がれる。恐る恐る目を開く。青い水の中は、静かだった。



イヴは水が気に入って、何度も滝へ行った。服を脱いで、水に身体を沈める。
「エラは水が嫌い?」
話すことがないからだと思い、最初は気づかなかった。エラは、水の中で無口になる。
(何だか懐かしいような気がするんだ・・・。僕は恐らく、)
この感覚をよく知っている、とエラは言った。




「まだ描き足りないの。もうちょっとまって」
(イヴが満足するまで待つよ。いっそ、今日は父さんが来るまでじっくり絵を描く日にしようか)
ありがとう、とイヴが言う。牢の中にあった空の瓶を並べ、イヴは夢中になってスケッチをしていた。イヴが描いた複数の硝子瓶の容器は、形、硬く冷たい質感、そしてそのそれぞれの透明度も表現されている。
(凄く上手になったね)
イヴは嬉しそうに頷いた。
「この本と、エラのおかげ」
立方体、球体、石、布、硝子、と絵の教本は簡単なものから順に具にその描き方を記しており、イヴは着実にその技術を習得していく。
「早く動物も描いてみたい。色だって塗ってみたい。・・・パパも凄いって言ってくれるかな・・・」
楽しそうなイヴ。エラは厚い教本の内容を思う。動物はまだ先、彩色はもっと先だ。付録の頁も充実している。人体、動植物の解剖図録、道具の解説、紙や絵具の作り方。
この時間がずっと続けばいいのにと、エラは思う。時間が足りない。




木刀がぶつかる音が響いていた。息を荒くして、王が向けられた剣先を見つめる。決して肉を裁たぬよう、わざと丸く磨いた切っ先。
「はぁ、は・・・っ、お前は強い。もう私では、相手にならない」
「この国で一番の剣士はあなただ」
汗一つかいていない。刃渡りの短い剣を下ろしたエラの言葉に、王は首を振った。
「魔王には敵わないだろうが、私の部下・・・騎士団の隊長の方が、今は私よりずっと強いだろう。団には彼の他にも腕の立つ者がいる」
「では、彼らと手合わせ願えますか?」
駄目だ、と王は言う。
「約束の日は迫っています。魔王の手から逃れるためにはイヴエラ自身が刃を研ぐしかない。あなたが一番良くわかっている筈です。なりふりかまってはいられない。・・・剣の柄の方は、間に合いそうですか?」
王が頷く。
「大丈夫だ。剣のことは任せなさい。さあ、もう今日はお前の相手は出来そうにない。イヴに代わってくれ。イヴはまだ、まともに護身もできない」
はい、とエラは言った。実際、魔王と対峙するのが自分と決まったものではない。自分はイヴを守るつもりだが、魔王なら無理矢理イヴを引きずりだすこともやってのけるかもしれない。否、するだろう。
「・・・イヴ、代わるよ」
(うん、エラ、お願い、側にいてね)
「大丈夫、ずっと見てる。イヴは武術も上達してきたよ」
嘘ではない。絵ほどではないものの、短期間で随分上達した。王はイヴにエラと同じ指導はしない。無意味だからだ。剣は大事な時に出せ、と王はイヴに言う。
「代わったな」
イヴは頷いた。
「お前達は雰囲気も、何もかもまるで違う。・・・イヴ、お前は相手の急所を確実に狙える時まで、刃を隠していなさい」
イヴが短剣を腰のホルダーに仕舞うのを見やり、王は始めよう、と言った。

稽古の時、父は父でなくなる。一度絞め殺されそうになった時から、イヴは以前のようには父を見られなくなった。恐怖が先に立つ。そして、ここ暫くずっと、会うときはいつも稽古だ。甘えることもなくなっている。
「怖いか?イヴ。言っておくが、魔王の恐ろしさはこんなものじゃない」
逃げるイヴを捕らえた王は、逃れるために腕を回そうとしたイヴを、寝台に叩きつけるように投げた。



「僕なんかいなくて、エラだけだったら、パパもきっと安心できたのに」
(それじゃ本末転倒だ)
エラが笑う。
「ほんまつ・・・?」
(大事なことと、そうでないことを取り違えることだよ。大事なのは、君が生まれたことだ。君が生まれたから、僕はここにいる。寧ろ、僕がいるせいで事は複雑になっている。本来、あの人はイヴのことだけを考えていれば良かったのに、余計な魔物の相手をする時間を取られて、しかもその魔物が愛しい君に悪い影響を与えていないかと、何をしていても不安なんだからね)
皮肉るように捲し立てた後で、ごめんね、とエラは静かに言った。
「そんなこと・・・。エラがいてくれて、エラがいなかったら、ぼく」
考えて、イヴの鼻の奥がつんとする。
「えら、ずっとそばにいてね」
(うん。いるよ。イヴにそう言って欲しくて、僕は動いているんだ。僕を必要として)
つぅ、と目尻から流れた涙が枕を濡らす。イヴの中の燻る鈍い痛みが、消えてゆく。
(・・・おやすみ、イヴ)
眠りに落ちる。幸福だった。




短剣は、エラの想定よりずっと早く完成した。刀身はそのままに、エラが王に頼んだ特殊な金属が柄に使われている。エラにも触れることができた。


「よく来たな、頼むぜ。皆お前に期待してる。どうやって眠らせてんのか検討もつかねぇが。今日は青だ、高つくぜ。・・・だから、6頭用意した」
男が笑う。帯布を頭に巻いた齢7つの少年の肩を、また別の男が叩いた。
「余裕だろ?」
少年は頷いて、扉を開ける。大きな歓声が少年を迎えた。




「ねぇ、エラ、エラも眠くなったりする?・・・それとも、夜も眠ってないの?」
絵を描くイヴがエラに問う。
(僕は眠らない)
イヴを守ると誓っていた。エラは、一睡もしていない。
「ぁのね、・・・最近ぼくが眠ったあと、何かしてる?」
(・・・本を読んだりしているけど。どうして?)
動揺を隠し至って平静に、エラは問い返す。
「爪にね、少しだけど、きらきらした粉が入ってるの。今日は、きれいな青色」
小さく笑い、エラは観念したように言った。
(小屋の机の、引き出しの中を見て)



イヴは言葉を失う。
「きれい・・・」
色とりどりの小さな容器が入った箱を、うっとりと見つめた。
「宝石で作るの?」
(あの本の付録のページにはそう書いてあった。特定の宝石を細かく砕いて、水とその白い粉を混ぜて良く練る)
水と混ざると溶け、粘性を持つ液体になる粉。透明な容器に入っているのは、絵具だった。
(まだ完成してないんだ。あとは緑色だけなんだけど。・・・誕生日に、イヴに渡そうと思って。喜んでくれる?)
こくこくと何度も頷く。

「エラ、だいすき」





明日は誕生日という日の夜、イヴは眠った振りをして、起きていた。エラが絵具を作る様子を見たかったからだ。

エラは静かになったイヴを確認して、牢を出た。わくわくするイヴをよそに、エラは小屋で髪を隠すように帯布を巻き、着替えて森へ出た。信じられない速さで走る。町を過ぎ、大きな建物の中に入った。イヴの知らない男が、親しげにエラに声をかける。
「来たな。今日のは凄いぞ。遠い異国の獣を用意した。獰猛で、人を食う、虎だ」
エラは黙って頷いた。イヴの不安に拍車をかける。エラは一体何をしているのだろう。短い真っ暗な通路を進み、エラは扉を開けた。耳に、破れんばかりの人の声が流れ込む。エラが読んでいた本の挿絵で見たことがあるとイヴは思った。これは、闘技場だ。そして、あの動物が虎なのだろう。

エラが手にしているものが見覚えのある短剣だということに、イヴは気づいた。今から何が始まるのか理解する。納得できなかった。
(どうして?だめ、エラ、お願い、そんなことしないで)
エラが驚く。
「イヴ、」
虎が向かってくる。エラは身を翻し、虎の腹を蹴った。虎は呻き、地に爪を立てる。体勢を立て直した。エラが走り、虎も向かってくる。
(エラ、やだ、やめて・・・)


こんなことをするエラは、     。


身体の中でぷつっと何かが切れる音がした。急に感覚が戻る。手が動く、足も。イヴは剣を床に置いた。腕を大きく広げて見せる。
「もう、・・・もう酷いことはしないよ」
しっかりと目を合わせた。絶対に背中は見せないと、誓っている。虎は驚いた様子で硬直した。ふんふんと鼻を鳴らし、探るようにイヴにその鼻先を寄せる。イヴは手を伸ばした。ずっと触れてみたかった、柔らかな毛に触れる。

どすっと重たい音がした。とろりと目蓋を落とし、虎が地面に転がる。背中に何かが刺さっていた。イヴは呆然と視線を上げる。咄嗟に、短剣を拾った。異様な姿の集団がこちらへ歩いて来ている。5人全員が黒く長いローブを纏っていた。フードを被り、顔は動物の頭骨で隠している。虎と、虎の前に立つイヴを囲んだ。
「ああ、泣かなくていい」
一人がイヴの涙に触れようとしたが、イヴは避けた。
「・・・打ち込んだのは薬だよ。眠っているだけだ。俺達は無用な殺戮を禁止されている。さぁ、立って、一緒に来るんだ」
差し伸べられた手は青白い。イヴは首を振る。魔物が、遂に自分を迎えに来た。誕生日は、明日ではなかったのか。
「間違いない。君が生まれたのは、8年前の今だ。ちゃんと人間の暦で計算してる」
考えを読まれたのだろうか。ぞわりとした。エラを呼ぶが、返事がない。
「エラ?」
怒って返事をしないつもりなのだろうか。喧嘩している場合ではないことはエラもわかっている筈なのに。考えて、イヴの身体は震え始める。
「・・・エラ、えら?・・・いないの?・・・ずっといっしょにいるって、やくそく、したのに」
押し潰されそうな孤独に、足元が揺れた。


10

「そこの奴ら、どうやって入った?ここは登録した闘技者以外は立ち入り禁止だぞ」
警備員らしき男が近づいてくる。
「殺されたいらしい」
大きな鎌を担いだ男が口元に笑みをたたえて言った。
「おいダルム、また獣に閉じ込められるぞ。ロンガ、あいつも眠らせろ」
「いんだよマーゲン。ダルちゃんはお仕置きされるのが大好きなんだもんね?」
ダルムと呼ばれた一際背の高い魔物は、制止とからかいを無視して、悠然と歩いた。警備員へと向かっていく。
「んだその錆びた鎌は。そんなオモチャでこの俺はびびらねぇ、ぞ・・・」
血渋きひとつ飛ばさずに、警備員の首が飛んだ。ダルムが鎌を振るう。遅れて加勢にやって来た警備員達の首も全て刈り落とした。ざわめいていた観客席がしんと静まる。
「ここにいる人間、全員殺してやろうか」
場内は悲鳴と、我先にと逃げる者達の罵声と怒声の喧騒に包まれた。
「あーあー、ダルちゃんてばほんとヘルバルト3世の生き写し」
何なの?リスペクトしちゃってんの?と呆れたようにロンガが言う。
「これは必要な殺戮だ。俺は人間の命など、顧みることはない。その物騒な物を仕舞ってさっさとヘルツの手を取れ」
ダルムがイヴに言った。ぼんやりと、イヴはダルムを、そして目の前の、ヘルツと呼ばれた魔物を見る。怯える様子のないイヴに、ダルちゃんの威嚇失敗じゃん、とロンガが笑った。

とても怖いことが、目の前で起こっている。なのに、何も感じなかった。何も考えられなかった。


エラが、いないなんて。


暫く待つ素振りを見せていたが、ヘルツは諦め、差し伸べていた手を降ろした。イヴの向こうの魔物に呼び掛ける。背中に何かが当たった。だらりと弛緩した身体を、ヘルツが受け止める。眠りに落ちる感覚に似ていた。背中と膝裏に魔物の腕があたっている。身体が宙に浮いた。

「おやすみ、お姫様。・・・そして、お帰りをどれほどお待ちしておりましたことか、我等が、」

意識が遠退く。







柔らかい寝台の上にいた。簡素な作りの、清潔な白いワンピースを着ている。部屋にはこの寝台と窓がひとつ。窓の外は、暗い。高い場所にある部屋らしかった。広がっているのは、森のようだ。
「お目覚めですね」
いつの間にか側に人がいたことに驚く。綺麗な容貌の、若い男だ。
「黙っておりましたので印象に残ってはいないかも知れませんが、私もあの場にいた魔物です。まぁ、正確には、魔物の中でも、霊、それも悪霊と呼ばれるものです」
男は白い、あの動物の頭骨を見せる。
「これは、私どもがあちらの世界で呼吸をするための道具です。私はウーゾーファゴスと申します、お見知りおきを。イヴエラ様」
イヴはウーゾーファゴスを見上げた。
「ぼくは、イヴ」
ウーゾーファゴスが微笑む。
「ああ、私も、親しいものたちからはウーゾと呼ばれております。どうぞイヴ様も私のことはウーゾとお呼びください」
「そうじゃ、なくて・・・」
黙り込んだイヴを、ウーゾーファゴスがじっと見つめた。
「・・・っ、な、に」
目尻に触れる。
「貴方様の体液は私どもにはこの上ない養分なのです。軽々しく漏らされませぬよう。あと、このように私が堪えきれず味見を致しましたことは、魔王様にはくれぐれも内密にお願い致します」
お仕置きされてしまいますので、とウーゾーファゴスはイヴの涙を拭い取った指を舐め、笑った。
「それから、向こうでは何も召し上がることがなかったと思いますが、こちらでは魔力を消耗します。栄養補給をしっかりとなさってください」
ウーゾーファゴスはイヴにころりと小振りな宝石を手渡した。透明で、紅い。
「過去に2人のネクタルがこちらに攫われてきた際には、こちらを召し上がっておいででした。種類によって味が異なるらしいのですが・・・」
甘い匂いがしている。イヴは口に含んで舐めた。舌が蕩けるようだ。
「気に入っていただけましたか?」
イヴは頷く。暫くすると溶けてなくなってしまった。
「石を溶かす唾液は、ネクタルに共通の性質のようですね。安心しました。個体差は想定されますが、こちらで保管しているネクタルの記録は概ね流用できそうだということ、ゲヒルンに報告しておきましょう」
「・・・ネクタル?ゲヒルン?」
イヴは首を傾げる。
「ネクタルは貴方様のように珍しい男女の生殖器を備えた人間のことです。ゲヒルンはこの城で研究をしている悪霊の名前です。石を口にするのはネクタルだけですので、私どもにはいかほどのお味かはわかりかねます。今度は他の色のものもご用意いたしますね」
「ウーゾ、」
ウーゾーファゴスはまだ聞き足りないとばかりの顔をしているイヴの手を、優しく引いた。
「さて、お話は歩きながらと致しましょう。イヴ様、早速ですがこちらへ。魔王様がお待ちです。・・・ああ、魔王様ではなく、エラ様と申し上げたほうがよろしいでしょうか」


11

ひたひたと、冷たく輝く廊下を素足で歩く。紅い宝石とは別の、芳しい匂いがしていた。床も壁も、一面が黒い宝石で作られているらしい。
「エラが、魔王様なの?・・・エラは、ぼくのために、魔王を倒そうとしていたのに?」
鏡のように上下左右に自分の姿が映っているのに、隣を歩くウーゾーファゴスの姿は、映ることがない。
「ええ。 王は、魂を操作する魔法が使えます。特に悪霊のそれは簡単な操作のようで、私どもの魂で遊んでおられるようなご様子もお見受けします。術者自身がその魂を別の肉体に移すのは複雑な操作のようでしたが、それでも王は理論を構築し、生物の死肉に移ることに何度か成功しておられました。しかしながら、他の肉体、それも生きている人間のそれに入ったのです、魂の受ける衝撃はいかほどのものか。記憶を失ってしまわれたとしても、不思議ではないでしょう。貴方様を守るという意志のほかは、全てを失ってしまわれたのだと推測します」
「ぼくを守る?」
ウーゾーファゴスは頷いた。
「魔王様はずっとネクタルを探しておられました。ネクタルは、3代目の魔王が人間界で羽目を外されたがために、生まれてすぐに同胞によって殺されてしまいます。王には、人間が生まれたネクタルを殺める前に見つけ、成熟するまで保護する必要がありました。悪意や事故からネクタルを守ることを考えた場合、人間に扮し人間界で生活することも、術で姿を隠し見守ることも、こちらから人間界を操作する術の開発も、現実的な方法とは言えません。・・・私どもはかねてから王より、ネクタルを見つけた際にはその中に入り守ること、人間界では8年、こちらの暦では10日の間、不在にすることを仰せつかっておりました。この方法も、リスクは非常に高かったのですが、王は無事にご帰還なさりました」
花嫁を守りきって、とウーゾーファゴスはイヴを見る。どこからか、たっぷりの大きな花をあしらった金の輪を出した。あまりに輝いているので目を凝らすと、花を模して薄い乳白色の宝石が重ねてあるのだと気づく。あの懐かしい、耳飾りの石に似ているような気がした。異なるのは、甘酸っぱい匂いがしていることだ。
「こちらにはあちらのような、柔らかい木や花はございません。しかしながら、見た目よりずっと軽いのでご安心ください」
そう言って、イヴの頭に載せた。
「よくお似合いです」
微笑み、ウーゾーファゴスは扉を開ける。



廊下と同じ、黒い部屋だ。光源はどこにもないが、よく見える。部屋の中は何もない。中心に鎮座する大きな液体の他には。
「えら・・・」
イヴは遠巻きに、それを見た。揺らめく、大きな透明な水の塊。とぷとぷと水が揺れるような音が聞こえる。想像していた魔王の姿とはあまりにかけ離れていて、イヴは言葉を失った。呼吸をするように、その不思議な、緩んだ球のような身体を僅かに上下させている。
「現王ヘルバルト6世は、液化魔神と呼ばれる種族です。液化魔神は分裂することで繁殖しますが、その数は元々、そう多くはありません。いつからか不思議な病に侵されるようになり、現在生き残っているのはこの王のみです。争いごとはお嫌いな方でしたが、魔王になればネクタルを見つけられ、その魔力で多くの仲間を救えるかも知れないとお考えになり、正式な決闘の後、前王ヘルバルト5世から王座を奪いました。不純な動機で王になったことを恥じておられ、寧ろ今までの王にない程、王の責務に真摯でした。しかし、貴方様を見つける随分前から、既に病は王を蝕んでいます」
「どんな病気なの?」
「肉体の中の魂が、石に覆われしまうのです。次第に厚くなる石の膜が、肉体と魂とを遮ります。快と不快によってのみ動く肉体は、さながら下等な魔物。末期には魔力の循環機能さえ正常に働かなくなり、肉体は腐敗、消滅します。王も、もって後数日かと」

イヴは魔王に駆け寄った。

透明なものの中に、輝く白い玉を見つけ、思わず手を伸ばす。にゅる、と小さな手は抵抗なく魔王の身体に入る。魔王の身体は、透明で柔らかなぬるつく手触りの膜と、その膜を満たすたっぷりの液体で構成されていた。意思があるかのように、薄い膜はイヴの腕に合わせて形を変えている。決して玉には触れられない。腕を引こうとして、イヴは焦った。
「ぁ・・・っ、ウーゾ、ウーゾ、ぼくは、どうしたら・・・っ」
抜けないばかりか、魔王はイヴの膝を包むように、その形を大きく変える。ウーゾーファゴスは俯いた。
「私も、存じ上げません。・・・下僕が主の交合を見るなど、あってはならぬこと。これにて、下がらせていただきます」
ネクタル、どうか我らの王の病を癒やしてください。ウーゾーファゴスは静かに呟く。イヴを残し、部屋を後にした。


12

ウーゾーファゴスが出ていくのを、イヴは不安な気持ちで見ていた。どうしたらいいのだろう。イヴが手を引き抜くのを諦めると、腕に纏わりついた魔王はイヴの腕を優しく揉むような動きをしている。とぷりとぷりと膜の中で動く水の音と、イヴの呼吸の音だけが聞こえていた。
「・・・あなたは、ほんとうに、エラ?」
いつか、エラが水の感覚を懐かしいと言っていたことを思い出す。白い玉は静かに輝いていた。
「エラ・・・」
イヴはもう一度、半身になって玉に右手を伸ばす。無防備な脇に湿った膜が張りついた。揉むような動きが擽ったく、イヴは痙攣して身体を捩る。
「ひゃぁぁ、ん、は、ぅゃ、ゃだぁ・・・」
身体を離そうと咄嗟に魔王にあてたもう片方の手も、にゅぷ、と二の腕まで埋まってしまった。
「だめっ・・・ぁ・・・」
魔王はイヴの膝から腿を撫でるように波打っている。前のめりになったイヴは腹も胸も魔王に押し付けるような体勢になった。どろりと、魔王に触れているワンピースが溶けていく。腹から胸にかけても、ひんやりとしてぬるつく魔王と密着した。下着も履いていなかったイヴの小さなペニスを、魔王が包み込んだ。
「ひゃ、・・・」
ぬるぬると撫でられている。イヴは初めての感覚に驚き、腰を引いた。
「ふぁん・・・っ」
全身に甘美な電流が流れる。ひくひくと震えた。溶け消えて背中にかかるだけとなった布が、はらりと床に落ちる。
「ぁっ、ぁ・・・だめ、だめ、それ、しちゃ、ぁ・・・」
魔王は器用に桜色の乳首を吸着しながら捏ねた。
「きゃぁ、ぁ・・・くちくち、しちゃ・・・らめぇ・・・っ」
くちりくちりと音がする。イヴは必死に魔王から身体を離そうと、床につけた爪先に力を込めた。こりこりとしこりをもちはじめた乳首が、今度はちゅぶちゅぶと音を立てて攻められる。魔王は敏感な乳首の先も、繊細に刺激した。
「ひ、ぁ、ぁっ、ゃ、ゃぁぁん・・・」
ぷるぷると身体が震える。頬が染まった。足の間に入った魔王がじゅる、とイヴの体液を飲んでいる。とろとろと液体を流すヴァギナに、身体を擦りつけるようにして吸っていた。体液は養分。イヴはウーゾーファゴスの言葉を思い出す。乳首を捏ねながら、魔王はイヴのペニスを揉んだ。
「ぁ・・・は、ふ、ふぅん・・・ゃ、ゃぁぁ・・・」
柔らかく纏わりつく魔王に、ちゅこちゅことしごかれている。イヴはあまりの気持ちよさに、かくかくと拙くも細い腰を振る。
「ぁん、ぁん・・・ひ、ひぅんん・・・らめ、ら、めぇ・・・ぉちんち、とけちゃ・・・」
魔王が一本の触手を伸ばす。粘液を表面から分泌して、触手はたっぷりの液を纏った。先端を先細らせ、ちゅく、とイヴのアヌスにその身を埋めていく。
「ふぇ、くふぅ、ん・・・っ、ぁぅ・・・」
液を塗り込みながら、触手はほぐれた肉をあやすようにゆっくりと太さを増す。
「はぅう・・・」
表面に、いくつかの小振りなイボを膨らませ、ぬぶぬぶと乱暴に中を蹂躙した。イヴの声が甘やかに響く。何度も突き上げた。
「ぅ、ふぁ、ぁ・・・おしり、しな、で・・・やら、やぁぁ・・・!しゅごぃの・・・おちんち、へんになっちゃ・・・」
アヌスをいじめられながら、イヴは腰を振りたくる。幼いペニスは、はちきれんばかりに膨らんでいた。
「きゃぅぅ・・・っひ、ひ、にゃぁ・・・でぅの、でゅ、ぅ・・・ぁ、ぁーーーー」
小さなお尻をきゅぅうっと上げて、魔王に押しつけた腰を震わせる。イヴは魔王の中に精液を放った。しゅわしゅわと泡を立てながら、魔王の中で霧散する。
「はひ、ん・・・」
ひくひくと腰が痙攣して、薄く開いた唇から涎が垂れた。触手がちゅ、ちゅ、と音を立ててイヴの口周りに吸いつき、なぞる。意識を失ったイヴを、魔王の柔らかい身体が包み込んだ。




イヴは液体の中に浮かぶ白い玉を見下ろしている。
「くふぅん・・・」
やわらかいふとももとペニスを魔王につけ、イヴはゆっくりと腰を振っていた。2本の触手が腰のあたりでイヴの両手首を後ろ手に拘束し、そのまま腹に巻き付いて、白い身体を支えている。ふよふよとその他にも、魔王はいくつもの触手を出して、イヴを撫でた。触手がなぞると、粘性のある薄い液が皮膚に残り、暫くすると揮発するのか、さらりと乾いている。触手が右の乳首を刺激しはじめた。ぬるぬると、舐めるように上下する。
「ぁぅ・・・ん、ん」
イヴのヴァギナは既に潤い、小さなペニスは固くなっていた。ぴくぴくと期待に震えている。イヴはエラの名を呼んだ。瞼を閉じ、頬を撫でる触手に唇を寄せる。唾液に反応して、その細い触手はイヴの口の中に入った。ちゅく、とイヴは触手を口に含み舐める。触手もまた、宝石のようにイヴにとって好ましい味がすると気づいてから、イヴは進んで口の中に迎える様になった。
「んっ、ふぁぁあぁぁ・・・っ」
触手がイヴのペニスをくちゅくちゅとしごく。射精を知った身体は、快感を前に抵抗する術をもたない。イヴは腰を突き出す。
「ぁ、ぁ、ぁぁぁん・・・」
ぴゅっぴゅ、と精液を魔王に注ぎ込んだ。弓なりに反り返ったイヴの頭から、冠が落ちる。かつんと高い音が響いた。割れることはなかったようで、欠片も落ちていないことに安堵したのは一瞬のことだ。イヴは再び、触手の与える快感に身を委ねた。


13

触手はイヴが目覚めている間ずっと求め続けた。イヴは幼い身体を快感に震わせ、まぐわいの中で意識を失うようにして眠る。起きればまた触手の切ない愛撫がはじまるのだった。

しかしそれも徐々に、激しさを失っていく。いつの間にか、イヴに終わりを予感させるものに変わっていた。

「エラ・・・」
イヴは弾力のある魔王の身体を撫でる。魔王は、その体積を大きく減らしていた。体積に合わせて高さも失い、イヴが立てば優に魔王を見下ろせた。魔王の魂である白い玉にも、触れられる。玉は硬いが小さく、イヴの手で握ることができた。しかし、それは膜越しでのことだ。直接は触れられない。イヴは玉を、どうすることもできない。
「死んじゃうの?」
魔王に額をつけた。瞳を閉じる。ぽた、と床に涙が落ちるが、魔王は反応を示さない。
「エラ、ぼく、どうすればいいの?」
イヴは体液を積極的に求めることのなくなった魔王に、唇をつける。舐め、唾液を与えた。
「・・・エラ、ぁのね、ぼく、エラが魔王様だって聞いて、嬉しかった。それにね、ぼくがネクタルで、エラを助けられるかも知れないって聞いて、不安もあったけど、それよりも、すごく、嬉しかったの」
肉体と魂を石が遮っているなら、エラには聞こえていないのだろう。それでもイヴはエラに話しかける。
「エラが、記憶をなくしてて、よかった。いっぱい遊んでくれて、教えてくれて、ぼくのために絵具も、つくって、くれて・・・っふ、ぅ・・・ぁのえのぐ、まだあそこにあるかな・・・ほんも、こっちにもってきたかった・・・じょうずにかいて、また、ほめてもらうの・・・っ」
イヴの嗚咽だけが響いていた。
「えら、ぼく、えらがいないと・・・」



泣き疲れて、ぼんやりとする。視界の端に、輝く冠がある。
「魔王様の、花嫁・・・」
花嫁様も冠をするんだ、とイヴは思った。イヴはかつて、父の冠を魔王のものと同じだと言って責めたことがあるのをぼんやりと思い出す。以来、父はイヴの前に冠をつけて来ることはなくなった。ばかげたことを言ったと思う。
「冠は、王様のもの」
イヴは誰に言うでもなく呟いて、床に転がる冠を拾った。
「だから、これは・・・魔王様のもの」
ふふ、と笑う。恭しく、魔王に載せた。

ぱぁ、と光が漏れた。
ちゃぷ、と水音がしている。

イヴは心臓をぎゅぅっと掴まれたような気がした。

「エラ・・・」

冠の輪を置いたところだけ膜が消え、ぽっかりと穴になっている。イヴはゆっくりと液体に手を入れた。白い玉は、いとも容易くイヴの手の中に収まった。冠の石と同じ匂いがしている。イヴは小さなそれを、口に含んだ。甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がる。舌先で転がすうちにそれは小さくなり、消えてしまった。口の中の甘い液体を、こくりと飲む。
「・・・エラ?」
思っていたのと違う。イヴは涙目になった。ウーゾーファゴスは石に魂が覆われていると言っていたのに、何も残っていなかった。エラの魂は、どこにいったのだろうか。

(イヴ)

頭に響いた声に、イヴは口元を手で覆った。ぼろぼろと、涙が頬を伝う。
(全部聞いたし、見てた。僕の身体が君に勝手にあれこれするのは、見てて腹が立ったけど)
「!!」
イヴは真っ赤になった。
(・・・ごめんね、ありがとう)
ぺたりと床に座り込む。
(この冠は花嫁のもの。イヴのものだ。気づいてるかわからないけど、この石は、僕の能力を制限したり僕の肉を傷つけることができるあの石だ。ネクタルが嫌なことがあれば魔王に抵抗できるよう、冠にして渡す習わしがあるんだよ。因みに、理由はまた後で教えるけど、城の悪霊は皆、魔王の下僕でありながら、ネクタルに凄く甘い。事によってはネクタルを優先することすらあるらしい)
安心していい、とエラが言う。イヴは慌てて冠を自分の頭に載せた。膜が伸び、穴が綺麗になくなる。
(さて、イヴとずっと一心同体も悪くないけど、このままにしておくと本物の僕の肉体が腐り落ちてしまう。それに、)
僕もイヴに触れたい、とエラが言った。イヴはどきどきとうるさい心臓を必死に抑えた。
(イヴ、僕の身体にキスをして)
きす?とイヴが問う。エラは笑った。
(今まで何度もしてくれたみたいに、唇で触れることだよ)
頷く。柔らかな膜に、唇を触れる。こぽこぽと液体の中にたくさんの気泡が踊った。治まり、とぷりと静かにゆれる液体。その中心に、光を放つ透明な球が浮いているのをイヴは見る。ぐねぐねと形を変えて、魔王はイヴと同じ歳のほどの少年になった。あの淵で水面に写った顔の面影がある。


エラ、と名を呼んだ。


14

「イヴ様、ああ、ああ、そんなに泣いては、綺麗なお目々が溶けてしまいます」
ウーゾーファゴスがおろおろとイヴの背中を撫でた。
「ぅっ、ぅ、ぇら、は、どうして、ぼくに、あってくれないの・・・?」
ひぐっ、と咽ぶ。
「なぁ、ウーゾ、勿体なすぎだろこれ。ハァハァ、めっちゃいい匂いしてる。ぺろぺろしたい~」
「きも・・・」
「ロンガてめぇいい加減にしねぇとぶっ殺すぞ」
「・・・ウーゾ?」
イヴはぱちくりと、大きな目でウーゾーファゴスを見つめた。ウーゾーファゴスは態とらしく咳払いをする。
「おー、泣き止んだじゃーん。ウーゾってばやるなぁ。さすが我らがネクタルのお世話係だなぁ」
ロンガがにやにやとウーゾーファゴスの二の腕をつつく。ウーゾーファゴスはロンガを睨んだ。
「・・・お二人とも、どうか、お願いですから、お仕事にお戻りください」
「俺はそこの廊下を通るついでに、ゲヒルンからのメッセージを伝えに来たんだ」
マーゲンが言う。何ですか、とウーゾーファゴスは問うた。
「身体検査がしたいから来るように、だそうだ」


ひたひたと、イヴの足音が響く。イヴが気づいたことには、悪霊は鏡にも映らなければ足音も立てない。
「イヴ様、我らが王は暫くの暇のせいで山のように溜まった職務を捌いておられるのです」
決して、イヴ様にお会いしたくないわけではございません、とウーゾーファゴスは言った。
「寧ろ、会いたくて堪らないところを、一心に我慢しておいでです」
イヴの頬がぽっと染まる。
「・・・ほんとう?」
ウーゾーファゴスは撫でくりまわしたい気持ちを、ぐ、と堪えた。
「ええ、イヴ様が眠られてから、私は王の御前に報告へ伺いますが、それはもう、お会いする時をどれほど心待ちになさっていらっしゃるか」
えへへ、とイヴが笑う。ウーゾーファゴスはイヴの小さな身体を撫でくりまわした。ひとしきり撫でくりまわされ笑ったイヴが、ウーゾーファゴスに問う。
「エラがね、悪霊の皆がぼくにやさしいのは理由があるって言ってたの。どうして?」
「左様でございます。悪霊には、貴方様を傷つけることはできません。また、必要であらば我らが王の命令に背き、貴方様を優先するようなことも行います。その理由は、私どもの生まれにあるのでしょう。我々は、3代目ヘルバルト王が手に入れたネクタルの臓物に、彼が命と引き換えに魔力を注いだことで生まれました」
「ぞうもつ・・・?」
内臓、人間の肉体の一部です、とウーゾーファゴスは言った。
「魔物が人と同じような姿になることを顕現と申します。逆に、魔物本来の姿のことを原型と申しますが、私どもの原型はグロテスクな人間の肉なのです。とてもイヴ様にお見せできるものではございません。尤も、かの王は美しいと評したそうですが・・・。ああ、誤解のないようこのことも申し伝えねばならないでしょう。そのネクタルは大変心優しい人間だったそうです。私どもの性格に難があるのは肉よりも、魔力の主の性格の方が強く現れるからなのでございます。この見た目も、恐らくネクタルではなく王のものでしょうし」
「ウーゾは、ちがうの。それに、ダルムも、怖いけど、優しい。ロンガも、マーゲンも」
無垢な瞳がウーゾーファゴスを見上げた。ありがとうございます、とウーゾーファゴスは頭を下げる。
「おや?イヴ様、ダルムは優しいですか・・・?」
イヴは頷いた。
「いつも絵具用の宝石をいっぱいくれるの」
抜け駆けとは許すまじダルム。左様でございますかとイヴに微笑んで、ウーゾーファゴスは拳を震わせる。




ゲヒルンの指示に従って、イヴは身長や体重を測った。試験管に唾液を落とす。
「じゃあ次は、悲しいことを想像して。できれば、一番悲しいことを。君の涙が欲しいんだ」
「・・・何でしょうか、今少しいらっとするような気障な台詞が聞こえたような」
ウーゾーファゴスを無視して、ゲヒルンはニコニコと微笑みを崩さない。
「うん、いいね」
つう、と目尻から落ちた液体を紙のようなものに吸わせた。紙の色が変わる。
「凄いな。とても濃度が高いよ。何を想像したのかな?」
「エラがいなくなったらって、考えたの。ぼく、寂しくて、苦しくなる」
ウーゾーファゴスがイヴを抱きしめた。
「王は病さえ克服すれば、魔界最強と名高い液化魔神です、ご心配は無用かと」
「イヴ君は本当に可愛いな。王様が羨ましいよ。もしも寂しくなったら僕のところへおいで。それにしても、ウーゾ、君は先程から少し邪魔ですね。なぜ今ハグを?席を外してくれても構いませんし、休憩でもしてきたらどうです。イヴ君、次は寝台に横になってくれるかな?」
がら、と扉が開く。
「ゲヒルン、薬を・・・イヴ?・・・何してるんだ?」
エラが眉根を寄せた。イヴは驚く。イヴが最後に会った時、エラはイヴと同じ位の背丈だったが、今はゲヒルンまでとはいかないものの、ウーゾーファゴスより背が高い。数日でかなり成長していた。
「身体検査です、王。研究用に精液を採取させていただこうかと」
ゲヒルンは寝台に横になったイヴのワンピースを捲ろうとしている。
「・・・イヴの精液のサンプルは私からゲヒルンに渡す。ウーゾーファゴスは今から暫くの間、私が呼ぶまで財務部の手伝いへ行ってくれ。手が足りないそうだ、仕事はたんまりある」
エラはイヴを抱き上げた。


15

カツ、とエラが踵を床に打ちつける。

一瞬で別の場所に移動していた。この場所も城の一室なのだろう、床と壁は見慣れたあの鏡のような黒い石でできている。広い部屋だが、大きな寝台と壁に動物の頭骨が6つ掛かっている他は、何もない。
「僕の部屋だ。最初、イヴにはこの部屋に居てもらおうと思っていたけど、ここは扉がない特殊な部屋だから不便でね。それに、僕は忙いと滅多に部屋は使わない・・・。君のことは、部屋選びから着る物まで、ウーゾーファゴスに全部任せることにした。・・・ウーゾは、うまくやってるかな」
イヴは頷いた。よかった、と寝台へ向かいながらエラは言う。イヴは、エラの首に額をつけた。ひんやりとしている。
「エラ、ぼく、エラにあいたかった」
エラはイヴの髪にキスをして、皺ひとつない真っ白なシーツにイヴを横たえた。
「まだ暫くはイヴには会わないつもりだった」
悲しそうな顔をしたイヴに、違うんだ、と苦笑する。
「僕も、イヴに会いたかった。だけど今の僕は原型になれないんだ。肉と魂が、まだ馴染んでいなくてね。会えば必ず、僕はイヴが欲しくなるのだろうと思うと・・・、・・・つまり僕は・・・イヴに物足りないと思われるのが嫌で、避けていた」
許しを請うように、エラの掌が優しくイヴの頬を撫でた。心地よさに、イヴは切なく吐息を漏らす。おずおずとワンピースをたくし上げ、柔らかなふとももを晒した。恥ずかしさに、瞳を伏せる。物足りないとはどういうことだろう、と思った。
「・・・ぼく、エラが少し触ってくれただけで、こんなになっちゃうのに・・・」
もじ、と身じろいで、イヴは更に手を引く。足のつけ根がちらりと見えた。甘い香りが匂い立つ。堪えきれないとばかりに、エラはイヴの唇を奪った。



くりくりと、エラが指先でイヴの乳首を捏ねる。貪るようなキスを受けながら、イヴは腰を震わせていた。
「ちゅ、ん、ぁ・・・」
離れた唇が名残惜しかった。イヴから出たエラの舌は、イヴの唇の端から漏れ流れる唾液を舐めとる。エラは、純度の高い魔力にうっとりとした。しかし自らの記憶にある、更に濃度の高いそれと、比べてしまう。そして、自分が物足りなく感じるように、イヴもまた物足りなく感じているに違いないと、エラは思った。
「んん・・・っ」
イヴはひくひくと痙攣した。エラの指先が僅かに透明になっているのを見る。その指が、ぬるつきながらイヴの乳首をいじめていた。
「あ、ぁ・・・ひぅ、ン」
「こうして原型になれるのは、身体の一部だけだ。気持ちいい?」
エラが申し訳なさそうにイヴを見下ろす。イヴはこくこくと必死で頷いた。気持ち良さに、表情はとろけている。硬くしこり、ぽっちりと立ち上がったピンクの乳首に、エラは触手のように柔らかくなった人差し指の先を押し付ける。乳首が埋まった。
「ひゃ・・・ぁ・・・」
イヴの乳首の形のへこみを残したままの指先を、エラは小刻みに上下させた。にゅちにゅち、と水音を立てる。エラの指から分泌される粘液が細かく泡立つ。
「!ひ、ぁ、ひっ、ふ、ぅ、ぅにゃっ、にゃぁあ、っ」
乳首だけで射精してしまいそうだ。腰を震わせながら、内股を擦り合わせる。
「・・・可愛い。イヴ、もう出しちゃいそうだね」
ペニスにエラの手が触れた。ぬる、と感触が変わる。イヴはエラのもう片方の手が、透明になっているのを見た。ぬるぬるのエラのその手が、ペニスを包む。隙間なく密着し、膨らんで汁を垂らすペニスを擦りあげた。乳首とペニスを同時に柔らかく潤う肉にしごかれ、イヴは息を詰める。声にならない悲鳴を上げて、びくびくと身体を震わせた。イヴの体温が伝導して、僅かに温かくなったエラの手の中に、イヴはたっぷりと射精した。
「ぅ、ぅゅ・・・ふ・・・ふぅん」
射精が止まらない。イヴは腰をエラの手にぎゅうぎゅうと押しつけ、脳を犯すような快楽を貪る。エラはイヴのあまりに悩ましい表情に、ぞくぞくしていた。精液は、魔力の濃度も高い。エラは服を脱いだ。熱っぽくイヴを見つめ、何もない自らの足の間にペニスを模した触手を2本生やした。
「これも好きだっただろう?」
イヴの膝裏を取り、ぐっしょりと濡れた膣と、ひくつくアナルにそれぞれの先端を宛がう。
「・・・ぁ、」
イヴが期待に潤む瞳でエラを見た。
「ぇらの、ぉちんち・・・?ぁあ・・・んんっ」
ちゅぐ、と卑猥な音とともに、2つの穴がみっちりと埋まる。イヴは射精せずに絶頂した。
「ふぁ・・・しゅご、ぃ・・・ん、」
痙攣するイヴに、エラは腰を打ち込む。ぱんぱんと柔らかな太ももを打つ音が響いていた。エラはイヴのいやらしい表情を眺める。いつまでも見ていたいと思った。何度も射精のない絶頂を味わわせる。可愛らしい喘ぎ声に混ぜて、必死で何か言っていることに気づき、腰を止めた。
「うん、何?イヴ」
涙目を覗き込む。
「はひ、ぅ、・・・ん、ぇら、・・・きす、」
愛しさに、エラは動けなくなる。
「えら・・・?」
だめ?と不安そうに問うた桜色の唇を、優しくついばんでやった。ちゅ、ちゅ、と何度も愛撫して、物欲しげに唇が薄く開いてきた頃に舌を差し入れる。キスをしながら、エラがぐりぐりと腰を捩ると、イヴは射精した。エラは唇を離し、ペニスを抜く。
「ぁ、ぁ・・・」
痙攣するイヴ。ペニスから、とろとろと精液が漏れている。イヴの腹の精液を舐めとりながら、エラはまだひくついて射精しているペニスを口に含んだ。かつてないほど濃い魔力が流れ込む。
「あぁ、イヴ」
疲れて微睡むイヴの頬を撫でた。小さな身体を抱き締める。自身もその瞳を閉じた。


16

床に座り、イヴは本を読んでいた。
「ブラズの買い出しのお手伝いはいかがでしたか?私、王が貴方様の人間界行きを許可するとは思いませんでした。万が一にも里心がついては大変ですからね」
イヴは顔を上げる。しゃがむウーゾーファゴスと目が合った。ウーゾーファゴスが微笑む。
「おや、これはまた懐かしい魔道具ですね。昔、王がよくお召しになっていました」
イヴの掛けている眼鏡を指差す。文字を翻訳してくれる眼鏡だ。
「エラがくれたの」
ウーゾーファゴスが頷く。
「王もそちらで人間界の言葉を学んでおられましたよ。その本は、人間界のものですね」
「うん。それからね、エラが作ってくれた絵具も」
あの絵具も、イヴは持ってきていた。
「ああ、では、お父上とはお会いに、」
ウーゾーファゴスは言葉を切る。イヴの白い頬を撫で、涙の跡を指でなぞった。
「・・・私としたことが、申し訳ございません。こちらと違い、向こうの時間は随分早いのでした」
いいの、とイヴは首を振る。
「パパに子どもがいて、今はその人が王様だった。強そうで、パパに凄く似てた・・・。丁度良かったウーゾ、この宝石を砕いて」
イヴは甘い香りのする宝石をウーゾーファゴスに手渡した。ウーゾーファゴスは受け取った宝石を手で包む。
「できましたよ、イヴ様」
イヴはウーゾーファゴスの手の下に瓶を置いた。ウーゾーファゴスの手から、細かく砕かれた宝石がさらさらと音を立てて瓶に積もっていく。
「ありがとう、ウーゾはとっても上手。マーゲンもダルムも、こんなに細かくできない」
微笑んだイヴに、ウーゾーファゴスは光栄です、と恭しく頭を下げた。
「ところでイヴ様、いつも一体どうやってこの粉を絵具にしているのですか?こちらには人間界で言うところの水はございませんし」
イヴは眉を下げた。
「エラが、誰にも言っちゃだめって」
「そうですか・・・。それならば仕方がないですね」
ウーゾーファゴスは渋々引き下がる。いつか教えていただけると嬉しいですね、と続けた。



エラに馬乗りになって、イヴは紅い宝石を一欠口に含む。楽しげに、エラの唇にちゅ、ちゅとキスをした。最近のイヴのお気に入りの遊びだ。寿命のない液化魔神である自分がもし死ぬなら、イヴが乳白色のあの宝石でこれをした時だろう、とエラはぼんやりと考える。唇を僅かに開き、エラはいつも以上に甘い匂いのするイヴの紅い舌を受け入れた。
「・・・エラ、きれい」
イヴはエラを見つめる。淡い緑みの青の瞳と髪が絵具が滲むが如く、紅に染まっていった。
「ぁっ」
天井が見える。体勢が逆転していた。薄まって最後には消えてしまう色が、鮮やかに揺らぎ輝いていた。うっとりと魅入るイヴ。
「すき・・・」
僕もだよ、とエラが言った。




ぱちりと瞳をひらく。静かに寝息を立てるエラの腕の中から抜け出した。ガウンを羽織り、イヴはイーゼルの前に座る。キャンバスをじっと見つめた。


つぅ、と唾を垂らす。白磁の皿に小さく盛った宝石の粉の上に、その透明な粘液が落ちた。じわりと溶ける宝石。イヴはそれを、泡立てぬようにゆっくりと筆で混ぜた。

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