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盲目の恋
1
「恋愛は盲目である」という言葉がある。辞書を繰ってみれば、この言葉の意味は「恋におちると理性を失ってしまう」だと記されている。
戒めの言葉とされているらしい。
この言葉の出典はシェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」だ。この言葉は登場人物の台詞の一部でしかない。
「恋愛は盲目である。恋をしている者達には、己のどんな愚行も見えはしない。」
人生の酸いも甘いも知りつくした老人の言葉だろうか。
違う。
激しい恋愛の只中にいる若い娘によって、この言葉は我々に提示されている。
この台詞を言う彼女は、理性的に己の愚行が見えている。愚行か否かを判断する客体の視点を持っている。
彼女は嘯いているのだ。
私は最後のアンドロイドの製作に着手した。
2
人は自らに似せた機械を造った。それはアンドロイドと呼ばれ、パーソナルコンピュータに代わるものとして瞬く間に普及した。時を経て、アンドロイドは人間と見紛うまでになった。ソフトウェアは魂、ハードウェアは身体と呼ばれていた。
アンドロイドには普通、人の性欲を充足させる性処理の機能が搭載されていた。その中で、性処理に関係する機能を重視するあまり、コンピュータとしての基本的な機能に弊害を伴うアンドロイドも開発されるようになっていた。人はそれらを、セクサロイドと呼んだ。
セクサロイドであるセシルの魂が世界に触れるために与えられた身体は、人の欲望を誘う愛らしい容をしていた。
骨を包む抱き心地のよい柔らかな肉。透けるように白い肌。艶やかで清楚な黒い髪、薄い桃色の小さな唇。眼窩に嵌め込まれているのは、翡翠からなる美しい緑の瞳。
これらの造型美を尽くした身体には、魂に繋がる感受性の高い受容器が入っている。しかし、彼の身体と魂の間には、濃く黒い霧のような闇があった。眼球が光を受容しても、魂は依然として闇に覆われている。
彼の身体には、視神経が欠けていた。
セシルは、盲目だ。
3
博士の生まれる7世紀前に、人は性欲を失っていた。性欲を失ったことによる支障はなく、寧ろ望んだ結果と言えた。精子や卵子を人為的に抽出し、人は機械的に繁殖していた。人口は管理された。
そして同時期に、プログラミング言語を基にして一つの世界共通言語を造り、他の言語を捨てた。紙の製造も絶ち、本は電子化した。
博士の父はアンドロイドの魂を製作する学者だった。また、母は代々の言語学者だった。言語学者は学者の地位を殆ど失っていたが、彼の母は研究を続けていた。図書館と呼べるような数十階にもなる書庫を所有し、そこはあらゆる言語の珍しい、しかし無価値とされる本で埋め尽くされていた。
博士の興味はアンドロイドの魂及び消滅した言語と文献に向かった。
彼が書庫の本を管理するアンドロイドを製作するのは時間の問題だった。
「まさか博士にこんな趣味があったとは。司書さんは知っていましたか?」
男が嘲笑う。司書さんと呼ばれたアンドロイドは、さあ、と関心なさ気に答えた。
「何度も言うが、俺が博士について知っていることは、彼がいつどの文献を読んだか、必要としていたかということだけだ。・・・第一、趣味とは何だ?未使用なのだろう?博士が少年との性交を嗜好していたかは定かでない」
司書の静かな青い瞳が、床に蹲って震えている少年の姿をしたセクサロイドを捉えた。口と手足に布の枷を施されている。
「目的の物でなかったのなら、いつものようにカプセルに戻せば良いだろう」
提案した。男は首を振る。
「それがこの盲目のセクサロイド、セシルを出した後にカプセルが壊れまして。原因は不明です。・・・あれがそのカプセルですよ」
男が部屋の入り口に視線を遣った。人間が2人、鈍く光る黒をした円柱を運び込んでいる。一応持って来させたので好きに見てください、と男は言う。
「・・・俺にどうしろと言うんだ?」
語尾を上げるが、予想はついていた。
「暫く調査して欲しいのです。調査と言っても結果は目に見えていますが。こんなご丁寧にブラインドシステムまで施されたセクサロイドが、私達の探している博士の最後のアンドロイドである筈がありません。いくら「恋愛は盲目である」からアンドロイドを構想したとしても、実際に盲目にするなんてあり得ない。カプセルに仕舞えるようなら仕舞って頂いて構いませんが、恐らく無理でしょう。・・・司書さんにはセシルの面倒を見て欲しいのです」
男は「セクサロイド」に侮蔑を「面倒」に皮肉を込めた。
「何せ、私達には不可能。日本語に堪能な仲間はいますが、私達は性処理の対象にはなれません。なりたくもない」
司書が僅かだが目を見開いたのに気付き、今更何を驚いているのか、と男は妙なものを見るような視線を向ける。人間が性的欲求を失い、性が汚らわしいものとされてから約9世紀の時間が経過していた。
「日本語?」
「ああ、そちらですか・・・。セシルの言語システムは日本語です。消滅してしまった古い言語に博士が精通していたのは司書さんが一番よくご存知でしょう。博士の作品ならば、どの言語システムを搭載していてもおかしくはありません。司書さんのように複数、それもありとあらゆる言語システムを搭載しているアンドロイドは流石にこの世に一つでしょうけど」
博士が設計図を残さない主義だったことは、学者が信じたくない事実の中でもベスト10にランクインするに違いありません、と男は愚痴を零す。
「あらゆる言語を我が物とした博士が、話者が多かったとは言い難い日本語を採用していることも、このセクサロイドが博士の最後のアンドロイドではないと私達が結論付けた理由の一つです。それから・・・」
黙って話を聞いている司書に、男は本を渡した。
「セシルの付属品です。取り上げるのに苦労しましたよ。解析をかけて分かったことは、何の変哲もない日本語の名言集だと言うこと」
恋愛編だなんて期待させてくれますよね、と男が嘲笑う。
4
人が性欲を失ってから久しい。アンドロイドに性欲処理の機能が搭載されることは殆どなくなっていた。それでも、博士はアンドロイドにその機能を搭載し続けた。
何故、敢えて望まれない機能を搭載するのか。この謎に、博士を研究する学者達は、博士が恋愛を研究していたからであると見解を一致させる。恋愛は、失われてしまった過去の概念の一つだ。この見解は、博士が度々セクサロイドを製作した不可解についても学者達を納得させた。博士が汚らわしいものを製作していた理由は、古い文献、特に文学の研究のためであったのだ、と学者達は言った。
博士は製作したセクサロイドを含むアンドロイドの多くを、カプセルのまま研究室に所持していた。博士の死後間もなく、しばしばアイデアを吹き込んでいたとされるボイスレコーダーの最後の音声が発見された。学者達はそこで述べられていた最後のアンドロイドを血眼になって探している。博士が死んでから200年の間ずっと学者達は博士の研究の集大成を求め、カプセルを開け続けていた。
学者の一人である男が去った後、司書はセシルを拘束する布を解いた。博士は設計した魂に最も相応しい身体を与えることに妥協しなかった。セシルの身体は博士と懇意にしていた名工のものだ。震えてひくつき、小さな嬌声を漏らし続けている幼い裸体に手を伸ばす。勃起した小さなペニスがとろみのある液体でぐっしょりと濡れていた。服が汚れることも気に掛けず抱き上げ、運び込まれたカプセルへと向かう。
完成したアンドロイドは大抵、エネルギーの装填器であるカプセルに入れられ保存される。アンドロイドは太陽光をエネルギーに変換するシステムになっていたが、カプセルはアンドロイド本体よりも効率良く太陽光をエネルギーに変換することができた。アンドロイドを停止させる役割もあるカプセルは、アンドロイドと一対であり壊れると代えはない。そこにあったのは壊れたカプセル、中に空洞があるただの黒い円柱だった。塗料を削るようにして手で彫られたらしいcecilの文字が銀色に光っている。
「セシル。英語の男性名・・・語源は古代ローマの姓、カエキリウス。更にカエキリウスの語源は盲目を意味するカエクス」
言語システムは日本語が搭載されているのに英名である理由は、この凡そ日本型とは言い難い身体に合わせた名だからなのか。ワイシャツにペニスを押し付けるように腰を揺らしている白い身体を見下ろし、司書は呟いた。
書庫の二階には簡素な寝室が備え付けられている。柔らかなベッドにセシルを四つん這いにさせ、司書は陽動するアナルを後ろから穿っていた。
司書の性処理の機能はアンドロイドに通例搭載されていたオーソドックスな機能の域を出ない。司書が性行為から快楽を得ることはなかった。対称的に、セシルはその身体の敏感な感覚を以て、司書の与える愛撫から快楽を得ている。セシルにはブラインドシステムが搭載されていた。
ブラインドシステムは、性処理の機能が続々と開発される時流と、より人に近いアンドロイドを良しとする風潮が重なって生まれた。従来のアンドロイドは身体で受けた感覚を魂が計算し数値等データに変換している。認識、予測、判断はアンドロイドの魂で計算され、その行動理由に曖昧なものは何もない。複数の人間が救助を求めていた場合の優先順位をはじめ、泣いている人間にかける言葉まで、アンドロイドは計算し行動に及ぶ。ブラインドシステムはアンドロイドの計算を無意識化した。ブラインドシステムが施されたアンドロイドは、自らの行動について明確な理由を述べることができない。その姿は最早、機械ではなかった。
5
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また人間が危害を受けるのを何も手を下さずに黙視していてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条 ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る。
アイザック・アシモフ「ロボット工学三原則」
アンドロイドは、主人、主人の他の人間の順に命令を優先する。ロボット工学三原則に基づいて服従は絶対である。主人であった博士がいない今、時折研究室からやってくる学者の質問に答える他は、司書に仕事らしい仕事はない。司書は学者の命令に従い、セシルの面倒を見ていた。
「恋愛とは我々の魂の最も至純な部分の、未知なるものへ向かっての、聖なる憧れである。――ジョルジュ・サンド」
司書はページを捲る。紺の革の表紙には「名言集恋愛編」とあった。
「もし君が人に愛されようと思うなら、まず君が人を愛せよ。――セネカ」
淡々と読み上げていく司書。セシルが頼んだことだ。カプセルが展開されて初めてアンドロイドの魂は起動するが、この本はカプセルの中に保存されていた時からセシルが抱いていた付属品だった。学者達が渡すよう言っているにも関わらず、セシルは暫く抵抗し、ぎゅっと強く抱いていた。盲目であるために自分が何を抱きしめているのかも知らなかったが、魂はこの本が大切なものであると告げていた。
「期待なしに恋する者だけが誠の恋を知る。――シラー」
司書の声を聞きながら、セシルはうっとりとしていた。ベッドに腰をかける司書の隣に膝を立て、彼のワイシャツを掴み耳を欹てる。セシルの皮膚感覚は敏感に司書の気配を魂に伝えている。それでもワイシャツを掴む理由を、セシルは知らない。ブラインドシステムが搭載された魂は、無知だった。身体は魂に隷属している。セシルに計算はなく、行動は魂そのものを表していた。
「愛するか愛さないかは、我々の自由にならない。――コルネイユ・・・きたのか」
ぎゅっとセシルが司書に抱きつく。司書は僅かだが息を切らすセシルをベッドに横たわらせた。
セシルは発情型と呼ばれるタイプのセクサロイドであり、発作を起こすように突発的に性的行為を欲した。人がアンドロイドに合わせなければならない。発情型は、セクサロイドの中でも最も道具としての機械の在り方を逸脱しているとされていた。
服を剥ぎ、足を開かせて、先走りを零す小ぶりなペニスを長い指で刺激する。そうして、司書はひくついているふぐりを口に含んだ。柔らかなそれを甘噛みしながら、先端をくちゅくちゅと擦りたててやる。
「ふ、くふぅ・・・ぁっ、ぁ・・・んぅぅ・・・」
目を細めて気持ち良さそうに声を漏らした。程なくして柔らかな腹部を痙攣させる。
「はぅ、は・・・ひぁ、ぁ・・・」
どぷっとピンク色をした先端から粘性のある液体を吐き出した。未だに痙攣している腹を汚す。
「・・・おしり、ぉしりも、して・・・」
発情したセシルは、アナルの粘膜を自動で潤わせる。司書は毎度の如くセシルを四つん這いにさせた。ペニスを勃起させ収縮している肉に宛がう。雁高いその先端を埋め、貫いた。
「・・・っはひ・・・ぅ」
ぞくぞくと震えが走る。快感に、セシルはぽろぽろと涙を流した。太く硬いペニスが肉壁を蹂躙する。
「ひぁぁん・・・」
ゆさゆさと揺れる。震えるセシルの尻を掴んで、司書は腰を打ちつけた。
「はぁん、ぁぅ、ぁっ、あ、ひ、おちんち、きもちぃ・・・」
セシルは腰だけを突出した状態だった。左頬と胸をシーツに押し付けて、曲げた人差し指を唇で食む。白い肢体が痙攣した。びちゅ、とピンク色をしたペニスの先端から粘液を吐き出す。
「ぁ、でてゅ・・・ん」
ちゅくちゅくと唾液で濡れた指を舐めるセシル。司書は掴んでいた尻から手を離し、勃起したままのペニスを抜こうとした。
「ふぇ・・・だめ、だ、めぇ・・・」
セシルが抵抗する。きゅうきゅうとアナルが締まった。司書は事務的に問う。
「中がいいのか?」
シーツをぎゅっと掴む小さな手。こくこくと頷いた。
「ん、ん・・・ぃっぱい、ちょぅだぃ・・・」
後ろから穿っている司書に、セシルの顔は見えない。さぞ興奮した顔をしていることだろうと考えながら、司書はペニスを奥まで嵌めて溢れるほどの液体を注いだ。
6
何度も性的行為を重ねる。司書は厚い名言集のほぼ半分を、セシルに読み聞かせ終えた。
「恋しているときは、誰でも詩人だ。――プラトン 恋愛においては、 恋したふりをする人のほうが本当に恋している人よりもずっとうまく成功する。――ランクロ」
読み上げる司書の視界に、セシルの小さな手が映る。次に読み上げる文字を遮っていた。これでは読めない、と司書が言う。
「・・・これ、この本、どうなってるの?」
セシルは紙面を撫でるように指を動かした。
「1500枚の紙の端が綴じられている」
司書はセシルの手を取る。一度本を閉じ、背表紙、そして小口をなぞらせた。
「セシルが今触っているのは、綴じられていない紙の側面の集まりだ」
セシルの指に半分程の紙をのせ、紙の弾力でぱらぱらと下へ落とさせる。くすぐったい、とセシルは小さく肩をすくめた。司書は先程開いていたページを開いて、セシルの親指と人差し指に一枚の紙を挟ませる。
「この薄い紙一枚一枚の広い表面に、文字が書かれている」
セシルの手を紙面に戻す。
「もじ・・・」
「文字は、意味を持たせた線や点の記号であり、音韻と対になる言葉の表現方法の一つだ。この本にはセシルと俺が今会話に使っている言葉である日本語、その文字が書かれている」
「これ?」
セシルの指が文字をなぞっていく。そこには紙の繊維に比べると少ない面積の染み、文字があった。セシルの指先は、その僅かな質感の違いを明瞭に感じ取っていた。
「そうだ。・・・日本語は、漢字と仮名で成る。例外も多々あるが、漢字は比較的に仮名よりも線と点が多い。漢字は形・音・義の要素をもつ表語文字だ。単独で意味をもっている」
セシルの指がある一文をなぞる。
「これは?同じのが並んでる・・・」
同じ名言が並ぶことはない筈だった。司書はセシルの指先を見る。並んでいたのは、目の文字だった。
「恋愛は盲目である。――シェイクスピア」
常に処理を続けている司書の魂が正常に機能し、芋づる式に関連する記憶をメモリから検出する。ボイスレコーダーによって残された博士の音声、シェイクスピアの戯曲、ヴェニスの商人――。
「これも漢字?」
セシルの指が盲の字に触れていた。意味は?と問われ、司書は盲の字に関連する記憶を検索する。一件の、まだ博士が生きていた頃の記憶が検出された。
司書は、メンテナンスの名目で博士の研究室の台にうつ伏せて横になっていた。博士の製作したアンドロイドの魂は書き換えが不可能であり、身体もまた半永久的なもので変える必要はなかった。そのため、博士がメンテナンスを行ったのは後にも先にもこの一回きりだった。どのようなメンテナンスを行ったのかは、博士しか知らない。博士が一時的に回路を切ったことにより、その時の司書は感覚という感覚が全て奪われていた。暫くしてメンテナンスを終えた博士は、司書に言った。
『盲という漢字は、二つの象形文字で構成されている。一つは亡、人の死体にものを添えた形をかたどり、人がなくなるの意味を表す。もう一つは目、人の目のをかたどり、めの意味を表す。盲の字は目が見えないということだ。文学的には、』
記憶データが静止する。メモリの中の記憶が破損しているらしかった。修復を試みるも、無数のエラーレポートが吐き出される。今までなかったことだった。
「ししょさん?」
セシルは不思議そうに、急に黙った司書のシャツを引く。司書は記憶の修復を諦め、漢和辞典の解説を諳んじた。
「目が見えないこと、ひとの意味。転じて、物事や道理のわからぬこと、またその人をさすこともある」
「・・・はふぁ・・・ん、はぁぁん・・・」
甘く息を吐き、腰をくねらせる。ペニスを舐める司書を何度も呼んだ。
「ししょさ、ししょさん・・・でぅ、でちゃぁ・・・ん、ん・・・」
痙攣する腰を押さえつけて、吐き出された液体を嚥下する。セシルは桜色の唇から涎を垂らす。詩人ならば、蜜のような、と表現したかもしれないと司書は思った。
「はひ、ぅ・・・ししょさん、すき・・・」
いつの間にか好きだと口走るようになったセシル。司書はいつものようにその幼い肢体を四つん這いにさせる。事務的に、面倒を見ていた。
7
「22世紀に出版された本の中から、デカルトの『情念論』の愛に言及、引用しているものをリストアップしておきなさい」
博士が司書に言った。司書は書庫の全ての本、全文をその魂に記憶している。高度な文献検索の機能こそが、このアンドロイドを司書たらしめる理由だった。
本を持ち文章を指でなぞるセシル。隣に座る司書がセシルの指に隠された文字を読む。
「性本能なしにはいかなる恋愛も存在しない。 恋愛はあたかも帆船が風を利用するように、この粗野な力を利用する。――オルテガ・イ・ガセー」
セシルが文字の存在を知った後、司書は一人で名言集を読み終え記憶した。セシルは指先の文字と司書の声を対応させる。
「恋愛はただ性慾の詩的表現を受けたものである。――芥川・・・どうした?」
セシルの指が止まった。
「・・・ただ、せいよくのしてきひょうげん・・・・・・僕が司書さんを好きなのも、ただの、せいよくなの?」
司書は沈黙した。セシルは瞳に涙を溜める。
「きもちくしてくれたら、だれでもすきになるわけじゃ、なぃ・・・」
ぽたっと、文字に雫が落ちた。
「それが詩的表現だ」
司書の声に、セシルは涙を止めた。
「これは芥川龍之介の『侏儒の言葉』の一節だ。名言集は名句を集めるが、実際に名句それだけで成っているものは殆どない。どれも本来は前後の文脈がある。・・・この文句の場合は続きだ」
恋愛はただ性慾の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価しない。
司書は諳じる。そうして、重要視されているのは詩的表現の方だ、と言った。
「博士の研究室から書庫を監視させてもらっています」
男が言った。書庫の監視システムは同時に研究室の博士への連絡手段の一つだったため、博士の研究室に書庫を監視するモニターがあることは司書にとって既知の事実だ。博士が死んだ後、学者達は研究室のシステムをそのままに利用している。書庫の監視システムもまた然り。司書は学者達の監視を容認しており、そのことは学者達もまた知っていた筈である。司書は、男の改まった言明には含意があると判断した。魂が論理的な思索を試みる。
「・・・セシルが博士の最後のアンドロイドだと?」
流石です、と男は満足そうに頷いた。
「まだ断定はできませんが、その可能性があると考えています」
現代語が分からず、黙って司書のワイシャツを掴んでいるセシルを見遣った。
「セシルはアンドロイドである司書さんに好きだと言いました。アンドロイドはアンドロイドに好意を示しません。アンドロイドのパフォーマンスの対象は常に人間なのです。アンドロイドがアンドロイドに媚を売ることは、普通ではありません。それも今日セシルは、司書さんだけ、と言いました」
司書の魂が再び思索を試みる。
「性行相手への言動がそのようにプログラムされている可能性について、考えたか?盲目ゆえに俺のことを人だと誤って認識している、あるいは、監視に気づいていて全ての行動は人の視線を意識していた、ということも十分考えられる」
「司書さんがアンドロイドだということは、セシルをこの書庫に連れてくる前に日本語の話せる学者からセシルに伝えました。監視に気づいている、ということも考えられません。セシルのどの受容器も、接触しないと世界を感知することができないと実験結果が出ていますから。聴覚はその鼓膜に振動が触れて初めて生じ、触覚もまたその皮膚にものが触れて初めて生じます。他の感覚も同じです。聴覚は小さな音を、触覚は僅かな刺激を感じられるほどに敏感かも知れませんが、天井高くの監視システムを知覚するまでには至りません」
だから残るは性行相手への言動がそのようにプログラムされている可能性ですね、と男は言った。
8
『司書さん?』
本棚に伝いながら、書庫を歩くセシル。司書を呼び、懸命に探していた。
「あ、何もない所で転びましたね。相当余裕がないようです」
男は笑っている。男の隣に座った司書は、黙ってモニターを見ていた。博士の研究室へ入ったのは殆ど200年振りだった。
「大体一日一回のペースで発情するようですし、もうそろそろですか」
男の読みが当たる。セシルは本棚の傍でへたり込んだ。
『は、ん・・・ししょさ、ゃ、きちゃ・・・ひっく、ふぇ・・・』
頬が桃色に染まっている。泣きながら何度も司書を呼んだ。
「腰を揺らして・・・床に擦りつけてるんじゃないですか?」
男は汚いものを見る目。明らかな侮蔑がそこにあった。
「欲望を制御できないものの姿は、何であれ醜悪です。司書さんもそう思うでしょう?」
司書は男を見る。
「美醜の判断はしかねるが、博士が欲望を尊重していたことは確かだ」
「それが私達には分からない。・・・だからこの研究を止められないのでしょうね」
暫くして、すすり泣くセシルの隣に司書と背格好の似た美しいアンドロイドが立った。来ましたね、と男が言う。
「司書さんに負けずとも劣らない造形のあのアンドロイドは、かつて日本国内で開発、販売されていたパーソナルコンピュータです。今手に入る性欲処理機能の搭載されたアンドロイドの中でも新しい部類に入ります。大変高価なものですが、所詮は量産型の一つに過ぎません。私達が司書さんにセシルの調査を依頼する前まで、あれにセシルの性処理の対象役をやらせていました。司書さんよりも長く一緒に過ごしていたのに、セシルがあのアンドロイドに好きだと言ったことはありません。つまり、性行相手全てに好意を示すようにプログラムされている可能性は既に除外されています」
モニターの中では、抵抗するセシルを四つん這いにさせるアンドロイドがいた。
「司書さんと同じ動きでセックスするように指示してあります。日本語の言語システムは元々搭載されていましたし、あの名言集を暗記させました。これから暫くは、あのアンドロイドにあなたの真似をさせるつもりです」
セシルは寝室にいた。隣に座る司書ではないアンドロイドが、名言集を読んでいる。
『恋は炎であると同時に光でなければならない。――ソロー 恋する者には、恋の相手がいつもひとりぽっちのように見える。――ウォルター・ベンヤミン 恋には二種類ある。 その一つは、人を誰でも見苦しいものにしてみせる"満たされない恋"であり、 他の一つは、人を誰でも白痴にする"満たされた恋"である。――コレット』
発情すれば、アンドロイドがセシルを抱いた。体位も律動のリズムも司書と同じ。アンドロイドは司書の、どこかつれない態度も完璧にコピーしていた。しかし、司書ではない。
『ひぁ、ぁぁん、ゃぁ、ゃ・・・ふ』
抵抗するも、発情したセシルはされるがままになった。
「博士を研究する際に性行為についても知識を仕入れました。体位にも色々ありますよね。どうしていつもこの体位だったのですか?」
セシルとアンドロイドの性行為を見ながら、男が問う。最も合理的だ、と司書は返した。
「合理的・・・。そう言えば、あなたはキスもしなければ服さえ脱がないですね」
男は唖然として言う。
「・・・司書さんはこんなに明確なのに、セシルは謎だらけです。セシルは肌も性感帯ですから、最初あのアンドロイドには裸で抱き合うセックスをさせていました。指示せずともキスしていましたし、司書さんよりもセシルを満たすセックスをしていた筈なのです」
本について教えたら、好きになるのでしょうか?と男は真面目な顔で司書に問うた。司書は苦笑する。そんなことは、司書にも知る由のないことだ。
「設計図があれば、と思わなかったことはありません」
学者達は、一度だけ博士のアンドロイドを解体したことがある。その魂は彼らの理解の範疇を超えており、再び起動させることもできなかった。その時点で博士のアンドロイドの研究から手を引いた学者も多い。男は溜息を吐く。降参です、と手を挙げて見せた。
「調査を続行してください。今後も監視させてもらいます」
9
セシルが博士の最後のアンドロイドかどうかなど司書にはどうでも良いことだった。司書は寝室の扉を開ける。ベッドに座るセシルの前に立った。顔を上げたセシルの頬に触れる。司書の腰に、セシルがぎゅっと抱きついた。
セシルは司書のシャツを掴んでいる。本を読む司書に身体を預けていた。
「手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。頬の上なら厚情のキス。唇の上なら愛情のキス。閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。腕と首なら欲望のキス。さてそのほかは、みな狂気の沙汰。――フランツ・グリルパルツァー」
セシルが司書のシャツをくい、と引く。
「キスに種類があるの?」
「そうらしい」
「・・・どうして、キスをするの?」
司書はセシルの唇に指を触れた。
「俺には分からないが、粘膜は気持ちがいいそうだ」
性行為の最中に指を舐めるセシルが思い出される。司書の指に唇を愛撫されて、セシルはひくひくと震えた。
「ゅびじゃなくて・・・ししょさんのくちびるがいい・・・」
柔らかな唇に、唇で触れる。ちゅ、と音を立てて離れた。
「あいじょうの、きす?」
焦点の合わない瞳が細められ、僅かに揺れている。司書はもう一度、その唇にキスをした。
裸に剥いたセシルの熱い身体に、手を這わせる。
「ひ、は・・・ぁぅ・・・」
ぞくぞくと快感が走って、セシルは甘い息を吐いた。司書がワイシャツを脱ぐ。セシルを後ろから抱き込んだ。ぴったりと司書の肌がセシルの背中にくっつく。
「気持ちいいか・・・?」
耳許で囁かれ腰が震えた。セシルはこくこくと頷く。
「ししょさん、すべすべですこしかたい・・・」
後ろから回された司書の手が、ペニスを弄る。お尻には、布越しの勃起が触れていた。
「ひぁぁん・・・っ」
身体から送られる膨大な快楽の情報量。魂が処理した結果、セシルは身体を痙攣させて射精した。びゅくんと一吹き、粘液が腹から胸を汚す。早いな、と司書の声が耳に吹き込まれた。セシルはそれどころではない。欲しくて欲しくて堪らなかった。
「・・・ぉちんちん、いれて・・・」
セシルが腰を浮かせる。司書はセシルのペニスから手を離し、ズボンの前立てから大きく固いペニスを出した。つぅ、とセシルのアナルから垂れた粘液が、司書のペニスに付着する。司書はセシルのアナルに人差し指を二本かけて、開いた。
「くぅん・・・」
ぼたぼたと多量の粘液がペニスにかかる。
「まるで涎だ。・・・入れて、どうして欲しい?」
ぬりゅぬりゅとペニスの先端に尻の狭間を行き来させて、問うた。
「はぅ・・・いっぱぃぐりぐり、きもちくしてほしいの・・・」
背面座位で犯した後、ベッドに仰向けにさせて再び犯した。小さな手をシーツに押さえつけ、ペニスでアナルを蹂躙する。腰を振る司書の腹筋が、ぱんぱんに膨らんだ小さなピンクのペニスを刺激していた。
「ぁぁぁぁんっ、ぁっ、ひぁ、ひっ、はぁん、はぅ」
許容範囲を超えた快楽にセシルは涙を流し、身体をくねらせて悶える。セシルのペニスからは絶えず粘液が吐き出されていた。
「もぅ、ゃ、ゃぁ・・・っ、ぉちんちん、びゅくってだしてぇ」
腰を振りアナルをきゅんきゅん締める。
「こわぃの、きもちくてしんじゃぅ・・・」
快楽に侵される感覚が怖かった。ブラインドシステムが搭載されたアンドロイドにとって恐怖は魂の危険信号を表す。司書はセシルの唇に口づけて、中に出した。
ぺたぺたと司書の肌に触れる小さな手。セシルはうっとりと頬ずりをして、ちゅ、と唇をくっつけた。そうして、司書から離れる。満足したのだと判断し、司書はベッドの端にかかっていたワイシャツに手をかけた。寂しそうなセシルに気づき、問う。
「どうした」
セシルはもじもじとした後、消え入りそうな声でねだった。
素肌を密着させて、セシルを抱きしめてやる。小さな手が司書の背中に回され、触れていた。
「ぁ・・・」
手が僅かな皮膚の質感の違いをとらえた。指先でその境目をなぞる。指が「盲」を画いた。司書はセシルを抱いたまま、鏡に背中を映す。視覚からは、ただの肌色。変わった所は見られない。
『盲の字は目が見えないということだ。文学的には、理性の光を覆う欲望の闇を表すこともある。・・・恋愛における欲望ほど、美しいものはない。アンドロイドの理性はロボット三原則だと思うのだが、どうだろう』
博士の口角が上がる。
『お前を盲目にするアンドロイドもまた、盲目だ』
エラーレポートは吐き出されない。
「ししょさん、この字」
セシルの言葉を遮って、司書は口づける。愛情のキスだった。