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薬師奇譚



窟におほきなる蛞蝓あり
酒膠蟲といふ
肉透きてあかあかとかがやくは雌なり
ひとの子にやどらせかしづくならひあり
蟲やどりし子みなやまひに死ぬ
子のなかにて蟲はちきれむほど膨らめり
裂きてみせば二分ほどなる卵あまたこぼる
青ざめたる蛋白石が如し
乾きたればこの色黒く濁る
薬師淫魔の丸薬と呼びて鬻ぐ




腕を伸ばすも、手酌で良いと断られた。骨張った手が徳利を傾け、硝子の器に液体が満ちる。注いだ男は一瞬驚いた様子を見せ、小さく笑った。
「後で大将にお礼言うとかな」
愉しげに眺めている。幾つもの白い異物が、透明な日本酒の中を舞い泳いでいた。珍しいのだろうか。酒に暗いのでわからない。
「澱、いいます。蛋白質の塊にして、熟成古酒たる証です」
呆けた顔をしていたに違いない私に、男が言った。この言葉の調子は関西の、京都や兵庫のあたりのものだろうか。前下りぎみに襟首まで切り揃えられた黒い髪と白い肌が中性的な雰囲気を醸している。中央で分けている前髪が落ちてきたのを、ただ指で払う仕草ですら様になった。男は、恐ろしいほどに美しい。

人の話を聞いているのかいないのか、彼は水を飲むように徳利を空にしていく。だが、不愉快ではなかった。いつになく緊張していたため、淡々と語ることができて寧ろ助かる。私、蘇芳染次(すおうそめつぐ)がそんなことを思った時、彫りの深い二重から覗く青い瞳と目が合った。噂に聞く通り、異人との混血なのだろう。色のせいだけではない、見る者を萎縮させる冷たさがある。ええですよ、と彼は言った。低い声は柔和な言葉に乗って、驚くほどさらりとしていた。硬直した私を覗き込む。
「・・・聞いてはります?僕、ええです、言いました」
「あ、ああ。・・・え?」
是の返事が信じられずに混乱した。眼前の男、安隨葦能(あずいよしたか)が手を貸すと言ったのだ。私にとって、この上ない僥倖だった。接点は同じ研究所に在籍しているということのみ、知己の仲ではない。彼が自分の誘いを承諾し、行きつけだと言うこの小料理屋で話を聞いてくれていることでさえ、何かの間違いのように思えるのに。

安隨葦能は、時の医学者だ。私の方が年上だが、冴えない一研究員に過ぎない私など、彼の足下にも及ばない。雲の上の存在だ。安隨は学生の時分から既に数多の有用な新薬を世に送り出している。現在は昆虫の体液を使用した抗菌薬を開発中だと聞いた。それは医療だけでなく農業の分野でも用途開発が期待されている、とも。漢方にも通じており、内科だけではなく外傷や臓器系の外科技術も優れ、研究所に籍を置きながら、依頼内容が彼の興をそそるものであれば、臨床医として実際に人の命を救うこともあるという。方々で耳にする噂を継ぎ合わせれば、物静かな佇まいに似合わぬ凄まじい行動力に驚嘆するほかない。
「早い方がええやろね」
そう呟き、どこから取り出したのか汽車の時刻表を机に広げた。
「所長に言うてまず三日、休みをもらいまひょ。ほんで、僕の都合がつくのは早ても一週間後、汽車はこれや。如何ですやろか、蘇芳はん」
私に拒否権などなかった。頷く。ありがとう、と何度言っても足りない気がした。
「出張診療やったら珍しいことやあらしまへん。僕は仕事の依頼を受けたまでです」
彼の言葉に、はた、と我に返る。当たり前のことを忘れていた。
「すみません、・・・報酬は、幾らほどになりますか」
同じ研究所に勤める者のよしみで、多少融通してもらえないものか。声を掛けた時には既に頭にちらついていた浅ましい願いを、口にする勇気はなかった。果たして自分に支払える額だろうか。払えなければ、纏まりかけた話は無情にも消えてしまう。ちらりと伺うと、彼は目を細めた。金やのうて、と言った。
「酒がええです」
酒、と呆けて聞き返す。彼は愉しげに頷いた。
「てっきり知っとって僕に声かけはったんやと思てましたわ。僕がいつもこの手の仕事の依頼で頂いとります報酬は、酒です。・・・・・・これでも、ぴんと来はりませんやろか」
私は酒には疎いのだ。彼が何を言いたいのかわからず困惑する。ぴんと来るものなどなかった。彼は傷ついたような顔をした。
「蘇芳はん、こないだの二次会で濁酒振る舞ってはりましたやろ?実家から送られてきたけど自分は酒飲まれへんから言うて」
あ、と私は思わず声を上げる。一週間前の、新所長の就任祝いでのことだ。会には滅多に顔を出さない安隨が、その蟒蛇ぶりを披露したのは記憶に新しい。その席に、私は兄が郵便で寄越した御神酒を持参していた。故郷の酒だと簡単に紹介したが、同封されていた兄からの手紙には、村の神子の精通を祝うものであると書かれていた。初潮を迎えた女児の親が親戚ないしは近隣の住人に赤飯を配る習わしと似たようなものだろうか。男児のそれは珍しい。神事の関係では、特殊な習わしがあるのだろう。私や兄、友人達もそんなことはなかった筈で、私は顔も知らない神子を不憫に思ったのだ。
「色々飲んで来ましたけど、今まで飲んだどの酒とも違とりました。・・・僕、あれえらい気に入りましてん」
陶酔したように安隨が言う。そのあまりの色気に、私は耳が熱くなるのを感じた。思わず目を反らす。
「・・・わっ、わかりました。でもあれは、売り物ではないんです。お渡しできるものがあるのかも・・・、兄に頼んでみます」
おおきに、と彼が言うのが聞こえた。




「坪内せんせから、蘇芳はんも医家の子弟と聞きました」
安隨が言う。も、ということは彼の生家も医者を生業にしているということだ。学校では習うことのない東洋医学にも詳しいと聞くところから、本草学者の家系なのかも知れない。漫然と思う。私は会話に全く集中できずにいた。今日の安隨はシャツにズボンと洋装だった。着慣れている様子で、また良く似合っている。改札口へ向かう人、汽車を待つ人で鉄道駅が混雑する中で、歩廊を行き交う夥しい数の視線が引力に抗えず、彼に留まる。人々が、その美しさに驚いているのがわかった。視線は、次いで隣に立つ私も舐めていく。私自身、背が高いため普段から人ごみの中でも目立つ方ではあるが、そういったものとは次元が違う。私は、早く汽車が来ないものかとばかり考えている。
「これは先生!」
お久し振りでございます、と安隨に声をかけて来たのは六十ほどの男だ。
「狭山はんやないですか。ご無沙汰しとります」
身体の調子はどうかと尋ねる。二言三言交わし、目尻に涙を滲ませた老人は拝むように頭を下げ、人ごみに紛れていった。二人の話振りから、数年前の治療以来に会ったものと伺えた。
「患者さんの名前は皆覚えているんですか?」
名を呼ばれ、老人は感じ入っていた。覚えとります、と彼は言った。彼も背が高い。青い瞳は、見上げることも見下げることもなく、私を真っ直ぐに見た。
「蘇芳はんが思てる程えらいことやないです。僕はもろた依頼を片っ端から受けるわけやない。僕の基準で選びます。誰がどんな病やったかは自然、一つ一つ覚えとるもんです」
安隨が私から視線を外す。彼の見る方向を、私も見た。私達の乗る汽車が駅の構内に入って来たところだった。
「報酬の酒はついでです。お金はもろてへん。何かお礼したい言わはるから、ほな酒で、言うとったんです。そしたらそれが定着しました。どっかで聞きつけて僕のとこに来る人の多くは、手に入る一番ええ酒を僕にくだはります」
安隨が足元の大きな荷物を持ち上げる。
「ほんまの酒目当てで依頼受けたんは、今回が初めてです」



私が彼に依頼したのは、故郷の恋人の診療だ。彼女は原因不明の病を患っている。不調を訴えたのは四年前の冬だったが、聞けば以前から違和感があったと言う。以来、何人かの高名な医者に診てもらったが、これといった診断が下ることはなかった。一時は、私や安隨の勤める研究所と提携する病院に入院していたこともある。主治医だった坪内監養(つぼうちかんよう)はあらゆる検査、診察の後、打つ手なしと判断した。彼女の家の資産や私の蓄えが殆ど底を突いてしまったとあれば、ただ養生する他にない。私は諦められずにいた。幸いなことに職業柄、情報は手に入り易い。自分で彼女の病に類似するような症例を探すこともした。しかし、何の手掛かりも掴めずに、焦りばかりが募っていく。そんな折に、私は研究所でも有名な安隨葦能が個人的に臨床医として仕事を受けていることを知った。

「診療録、あるだけ目を通して来ました。うちの病院のも、蘇芳はんが大事に持ってはった開業医の先生方の記録も」
窓の外を都市の景色が流れていく。一時間と経たずにこれが田園風景に変わり、更に一時間後私鉄に乗り換えれば、夕方には山の麓の私の故郷に到着する。少し歩く必要はあるものの、数年前には想像もつかなかった便利さだった。
「彼女、出産の経験はあらしまへんやろか。流産、堕胎、死産も含んで」
シュッサンノケイケン。一瞬、安隨の言葉の意味がわからなかった。
「・・・ないと思います。いや、あるわけが、・・・」
ない、とは言い切れない私がいた。私は彼女を幼い頃から知っているが、医術開業試験を受けるために上京してから一、二年会えずにいた期間があった。十年程前になるだろうか。押し黙った私に、安隨が謝る。彼が下世話な興味で聞いたのではないことはわかっていた。
「わかりません・・・。彼女自身に、問診してください」
有り得ないことではない。しかし、もしそうなら、それは私の子ではなかった。私は彼女を抱いたことがない。
「安隨君は、お付き合いしている女性はいますか?」
優秀な上に美男子、人当たりも良い。天は二物も三物も与えている。強い興味に抗えず、私は尋ねた。安隨が小さく、困ったように笑んだ。
「おりません。僕は所謂、勃起障害です。裸の女性を前にしても、あかん。酒飲んだら、少し勃つこともありますけど」
事も無げに言う。思いもよらぬ返答に言葉を失った。何か気の利いたことを言わねばと焦る私を救う、オルゴールの音が響いた。続く車内放送が、私の故郷の名を告げる。



村に着いた私がまず聞いたのは、彼女、臙脂絹衣(えんじきぬえ)の訃報だった。黎明のことだったのではないかと彼女の母は泣きながら言った。発見は更に時が経過した昼前、私は電報と行き違った。首を吊っての、自殺だったという。




「すみません、こんなことになるなんて・・・。君に依頼することを考えていると話をした時、凄く喜んでくれていたのに」
安隨について書いた手紙に、彼女の返事は珍しく興奮した様子だったのを思い出す。美しく聡明な彼女にも美男子の話題に浮わつく一面があると知り、私は少し幻滅し、安隨に嫉妬した。嫉妬したのは初めてだった。可笑しな話だが、私はそれまで彼女が私以外の男に好意を寄せる状況を想像したことがなかった。
臙脂の家は真朱(まそお)、蘇芳に次いで村では力がある。卑しい男は彼女には近寄れない。彼女が望んだということであれば、話は別だが。不意に、一つの仮説が私の頭に浮かんだ。彼女は私の知らない男と恋をし、破れ、自殺したのではないか。私はぼんやりと、口から思考を垂れ流す。安隨と目が合った。深く輝く青。
「蘇芳はんが懸命に助けようとしとったお人は、ほんまにそないな人やったんですやろか」
ぼた、と畳に落ちたのは、私の涙だった。病気が治ったらお嫁さんにしてね、と彼女は言った。嗚咽を漏らす私の背を、安隨が摩ってくれている。
「取り込み中のところすまない」
すっと襖が開き、冷えた外気が部屋に流れ込んだ。見れば私の兄、染一(そめかず)が正座している。
「折り入って頼みがあるのだが」
聞いてはもらえないか、と抑揚のない声で言った。

私の家、蘇芳は先祖代々この村の医療を司っている。私の兄もまた、父と共に村の医者をしていた。東洋医学でも、ましてや西洋医学でもない、一子相伝の独特の医療行為を行う。私の嫌いな、加持祈祷のような論理の欠片もない医療。父と兄は医者という特殊な身分故に、真朱が取り仕切る社への出入りが許されている。

兄は安隨に、社にいる神子の治療を依頼した。今年十歳になるというその神子の症状は、発熱と腹痛。
安隨はあの酒を対価に依頼を受けた。私が先に文を送り頼んでおいたこともあり、用意してあると兄は言った。二人が話をしているのを、私はぼんやりと聞いていた。視線を感じて顔を上げる。兄が私を見ていた。
「染次も来なさい。お前にも関係がある」
理由を問う隙を与えず踵を返した兄を、私は安隨と共に追った。


社は私の生家から程近い場所にある。高い塀に囲まれたこの広い土地を、村の人間はお社と呼ぶ。私達は兄を先頭に、唯一の入口である赤い鳥居をくぐった。雑草一つない参道の果てには、村の神事を一手に行う真朱の棲む屋敷がある。社とは名ばかりで、一般的な神社のような拝殿もなければ、邸内においても武家屋敷然とした外観通りの造りをしていた。
「履物を脱いで上がってください。神子はこの奥の間に」
そう言って兄が案内した一室の、あまりの絢爛さに目を見張る。清朝の宮殿を思わせる、赤い布と金の装飾が目映い。部屋の隅には真朱の娘が二人、座していた。
「兪丹様、失礼致します」
兄が言う。神子は名をゆにと言うらしい。寝台の上で、動くものの気配があった。
「すおう・・・?」
赤い漆が輝く大きな寝台の上、柔らかそうな白い布を寄せて、少年が小さな顔を覗かせる。暖簾のように垂らした黒い布が、顔の下半分を覆っていた。生地は薄く、小さな鼻や唇、輪郭が透けて見えている。大きな瞳は、光彩が、赤い。
「都のお医者様をお連れしました。安隨先生です。兪丹様の苦しみを、幾許か楽にしてくださるかと」
ほんとう?と兪丹は目を細めた。遠目からでもその睫毛の長いことがわかる。切り揃えられた前髪が揺れた。愛らしい顔だ。光沢のある敷布に流れる艶やかな長い黒髪。少女と言われても疑うことはないだろう。
見惚れていると、兄が私に耳打ちした。
「二人だけで話がしたい」
診察する安隨を残し、私は兄と別室に移った。


「染次、どこまで知っているんだ」
「何ですか、藪から棒に。一体、何のことです」
私の返事が気に入らなかったらしく、兄は苛ついた。
「惚けるんじゃない。あの酒を人に振る舞っただと?どうやってくすねた?医者のために酒を用意しろなどと文を寄越して、私を脅しているつもりなのか!」
寝耳に水だ。何か特殊な物ならば文にその扱い方について書き付けて寄越すべきではないか。そもそも、私は盗んでなどいない。
「くすねたとは心外ですね、酒を送ってきたのは兄さんでしょう」
兄は目を丸くした。
「私が、お前に、あの酒を送った?・・・どういうことだ」
暫く考える素振りを見せ、兄はぽつりと彼女の名を呟いた。
「絹衣か。そうか。なるほど」
今にも笑い出しそうに体を震わせる。
「酒を報酬に診療する医者と聞いて、あの酒を、酒が飲めないお前に送ったんだな。病を治してお前と添い遂げるつもりだったあの女ならやりかねん。だが、なぜ自殺をする必要がある?・・・わからん。わからんが、しかしどうして、お前と絹衣が呼んでくれたあの医者は、兪丹の飼育に役立ちそうじゃないか。皮肉なものだ。つくづく、馬鹿な女だよ」
兄が哄笑する。気がつけば、後ろに人が二人いた。一人は私を拘束し、一人は縄で私の首を締め上げている。死ぬのか。彼女を失った今、悪くないように思えた。それにしても。場違いにも冷静に、私は考える。

安隨への報酬が酒だということを、私は彼女に伝えていただろうか。




頭の後ろ、髪の下にある紐の結び目を解いて、僕は自分の鼻と口を覆っている布を外しました。外していいのは、食事の時と、毎晩のこのおつとめの時だけです。真朱から深い銀の器を受け取る。器を満たすお山の水を一口飲み、同じ水で今度は口をゆすぎます。塩辛い水です。
「兪丹様、お持ち致しました」
別の真朱が差し出した御膳には、柔らかそうな輝く白米。箸を取って、お米を口に含む。良く噛んで、左隣の真朱が差し出した器に出します。また別の真朱がそれを受け取り、徳利に流し入れる。徳利が十になるまで、これを繰り返します。精通してからの、僕のおつとめでした。難しいことは、何もありません。でも、僕はこの簡単なことさえも、満足にできなくなっていました。
「・・・兪丹様、汗が。本日はここまでと致しましょう」
右隣の真朱が白い布で僕の額から首にかけてを優しく拭う。朦朧とする頭で、僕は徳利を見る。八つ。そのうち一つは途中なので、実際は七つでした。日に日に本数が少なくなることを、父様はどう思っているか、僕は父様に会うことは滅多にないので、わかりません。

父様はこのお社を守るために神事をしたり、都の人達にお薬を売っています。僕の作っている徳利の中身も、都の人を助けるお薬の一つだそうです。

「さ、こちらへ」
僕の手から箸を取ろうとした真朱の白い手に、新しい火傷の跡があるのが見えました。
「待って、僕、まだできるよ。八つ目も、ちゃんとするから」
お米を口に含む。僕の身の周りの世話をしたり、こうしておつとめの時に傍にいてくれる真朱達は、皆女性です。僕が不出来なことを理由に父様に暴力を振るわれているのを、一度だけ見たことがありました。
「ご無理はなさらないで」
真朱を無視して、僕は、お米を噛む。



以前は真朱とお庭でかくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたり、部屋でお話を聞かせてもらったりしていましたが、このところ、おつとめの他はずっと眠っています。身体が火照って、お腹が痛い。全部、精通してからです。僕の下着が精液で汚れていた朝、それを確認した真朱は喜んでくれました。僕の精通が今までのどの神子よりも遅いので心配していたのだと彼女達は言いました。蘇芳も、確実に成長しているのだと褒めてくれます。


「都のお医者様をお連れしました。安隨先生です。兪丹様の苦しみを、幾許か楽にしてくださるかと」
そう言って蘇芳がお医者様と僕の部屋に来た日も、僕は寝台に横になっていました。
「安隨葦能です」
名乗ったお医者様は、綺麗な青い瞳でした。
「あずぃ、せんせ・・・?」
「はい。はて、神子様に先生ゆうて呼ばしてええんやろか」
後で蘇芳はんに聞いとかな、と安隨先生が言う。
「ええ?」
聞くと、安隨先生は小さく笑いました。
「神子様に自分のことを先生と呼ばせても良いのだろうか、と言いました」
僕は頷きます。先生は、僕のお医者様。
「僕は兪丹。せんせ、安隨先生、僕を治してください。苦しいの・・・」
少しお話しただけでしたが、また身体が怠くなっているのを感じました。僕は、重たくなった瞼を閉じる。安隨先生の冷たい手が、額に触れるのを感じました。


安隨先生はお社に住み込んで、僕の治療をしてくれています。本当は三日で一度帰る予定だったと言っていました。帰らないのは僕の治療のためだと安隨先生は言いましたが、僕はそれだけが理由ではないような気がしています。
安隨先生は時折、蘇芳のことを尋ねます。何かを調べているようでした。先生が来るまで僕の体調を管理していたのは蘇芳で、怪我をした時にはいつもお薬を塗ってくれました。でも、それだけです。お話好きな真朱と違い、蘇芳はあまり自分のことを僕に教えてはくれません。


安隨先生が道具で薬草を潰す。先生は沢山の道具を使って、僕にお薬を作ってくれます。僕は薬研という道具を使う先生を見るのが、特に好きでした。先生は、細かくした草や実を混ぜて、沸かしたお水で煮だします。器を氷水につけることで、僕の飲みやすい温度に下げてくれる。僕は受け取ったそれを、飲み干しました。
「ええ子やね」
先生が頭を撫でてくれます。嬉しい。もっと撫でて欲しくて、僕は先生に身体を寄せました。
慣れましたが、お薬は凄く苦い。苦いから覚悟して、と先生が飲む前に言ってくれたのに、初めて飲んだ時は思わず吐いてしまった程に。部屋の隅で見ていた二人の真朱が慌てて先生を責めたけれど、先生は真朱の剣幕も意に介しませんでした。良薬口に苦し。先生が教えてくれた言葉です。この薬を飲むようになってから身体が楽でした。走り回ったりはできませんが、横になって先生とお話するだけなら、何時間でもできそうです。おつとめも、辛くないと言うと嘘になりますが、昨日は久し振りに十本全て作ることができました。

僕は回復しているのに、先生は日を追うごとに笑わなくなっていました。僕のお腹に聴診器をあてて、深刻な顔をします。調べることがあるからと、僕と話をしてくれる時間も、最初の頃に比べると短くなっていました。




真朱達は、僕の汚れた下着をおこぼれと呼んで大切に仕舞います。
「近頃はおこぼれが多く、真朱は嬉しゅうございます。安隨様のお陰ですね」
朝の支度についてくれた真朱が言いました。湿らせた布で、身体についた汚れを優しく拭いてくれています。恥ずかしくても、真朱の布を取り上げて自分で拭くことは、僕にはできません。僕は自分のそれを触らぬようにと、父様と蘇芳に厳しく言いつけられていました。
「夜に代えたばかりのものを洗わないといけないのに、どうして嬉しいの?」
真朱が二人、顔を見合わせます。
「兪丹様が健やかであることの証ですから」
「神が召し上げ切れぬほどの量、ということなのでございます。これが嬉しくない真朱はおりません」
僕は目を丸くする。神様。
「僕の精液を、神様が?・・・お腹が痛いのは、神様がいるからなの?」
左様でございます、と真朱。
「いけませんわ。兪丹様は神子。神を探るようなことをなさってはなりません」
黙って聞いていた別の真朱が、僕を強く窘めます。僕は混乱していました。僕の仕える神様が、僕のお腹にいるなんて。



襖を引く音に、僕は思わず身を起こす。そこにいたのは僕の期待した人ではありませんでした。
「治療の途中ではございますが、昨夜東京から電報があり、安隨先生は帰ってしまわれました。薬の作り方を習いましたので、私が毎日煎じます」
蘇芳が持つお盆に載っていたのは良く見知ったお薬と、湯気の立つ水。
「兪丹様がお薬を飲んで"ええ子"になさっていれば、また会いに来てくださるでしょう」
蘇芳が言います。僕は泣いていました。先生は、さよならも言わずに去ってしまった。
「真朱が、僕のお腹に神様がいるって言ってた。病気じゃないから、先生も帰っちゃったの?」
「・・・はて、私には何のことだか。兪丹様の腹痛は病にございます。薬は私の方で作れますから、お忙しい先生はお帰りに」
それだけですよ、と蘇芳は言いました。



安隨先生が帰ってしまってから、二日が経ちました。僕は先生のことばかり考えています。
「東京は遠い?」
掃除をする真朱に尋ねました。
「ええ、兪丹様。汽車がまだない頃、先のご当主も、そのまた前のご当主も、馬で四日、長い時には六日程かけて武蔵国へと行かれたものです」
「汽車?」
「鉄の乗り物です。私はあまり詳しくはございませんが、ここからですと非常に高価な切符を買う必要があるかと。兪丹様はご覧になったことはないと思いますが、お金というものが必要です」
僕は目を閉じる。汽車も、それに乗っている自分も、想像できません。汽車以前の問題でした。僕は一度も、お社の外に出たことがありません。


昼、僕は眠った振りをして、部屋から真朱がいなくなるのを待ちました。服を集めて丸め、上から布団を掛ける。上出来でした。布団の下には、まるで人がいるように見えます。
部屋を出て、屋敷の出口を探しました。いつもおつとめをしている部屋を通り過ぎて、次の部屋へ。廊下を歩いてまた別の部屋に入る。そうこうしているうちに、戻り方も、自分がどこにいるのかもわからなくなりました。屋敷の中で迷っている僕が、外に出て、先生の所へ行ける筈がありませんでした。惨めな気持ちで立ち尽くします。真朱達は僕が部屋から抜け出したことに気づけば、きっと僕を見つけてくれます。でもそうなれば、監視は厳しくなって、二度と部屋からは出られなくなる。
いくつかの足音が聞こえました。僕は息を潜めます。襖を隔てた向こうを、数人の真朱が歩いているようでした。
「安隨様がいなくなったのは蘇芳様のせいって本当かしら」
「あら、安隨様は研究室に忍び込んだのよ、知らないの?だから蘇芳様に殺されちゃったって話よ」
「違うわよ、屋敷の座敷牢に捕らえてあるって臙脂の男が。今の兪丹様が死んで、薬が必要なくなればそりゃ殺すんでしょうけど」
「そうかしら。私が蘇芳様だったら、安隨様を殺すなんてしない。腕の良い医者は使えるわ。次の兪丹様も長生きさせるために生かしておくの」
「そうね、今回の兪丹様の卵の大きさ、きっと今までとは比べ物にならない」
怖い。わからないなりに、わかったことがありました。震えが止まらなくて、呼吸がうまくできません。畳にうずくまります。真朱達に存在を気づかれてしまう。そう思えば思うほど、胸が苦しくなりました。不意に後ろから伸びた大きな手が、布の上から僕の口元を覆う。蘇芳に見つかったのです。必死に手を振り払おうと身体を捩ると、強く抱きすくめられました。
「ゆっくり、鼻で息しい」
耳に囁かれたのは独特の抑揚の、低い声。安隨先生。抵抗を止めた僕の呼吸が整うのを見て、先生は僕の口から手を離しました。振り返ると、あの青い瞳がある。
「せんせ・・・」
軽々と抱き上げられました。




「蘇芳が、先生は東京に帰ったって・・・」
ぽろぽろと涙が溢れる。帰ってへんよ、と安隨先生が笑う。
「蘇芳はんの部屋に勝手に出入りしとったんがばれて、座敷牢に監禁されてしもてん。鍵壊すのにえらい時間かかったわ」
蘇芳が先生を牢屋に。真朱達の言っていたことは正しかったようでした。それなら。
「・・・僕のお腹が痛いのは、卵のせいなの?」
先生が僕をぎゅっと抱き締める。先生の首もとから、すごくいい匂いがしました。もっと欲しくて、僕は先生の首、耳の下あたりに鼻を埋めて、息を吸う。お腹が熱くなって、おちんちんのあたりが痺れました。
「・・・、せんせ、いぃにおい・・・きもちぃ・・・」
暫く身体洗ってへんから、と安隨先生が困ったように呟く。
「あんまり吸うたらあかんよ」
どうして?ずっとこうしていたい。先生が僕の髪を撫でる。


襖を開けた安隨先生に、真朱達の視線が集中しました。僕の名を呼び、安堵する声が聞こえます。
「どういうことですか、兪丹様、安隨様」
真朱の一人が眉を吊り上げて言う。布団の下に入れた身代りの服は片づけられていました。
「蘇芳はんから兪丹様を研究室へお連れするよう頼まれたんです。聞いてはりませんやろか」
堂々と嘘を吐いて、先生が僕を寝台に寝かせます。僕は離れたくなくて、安隨先生の服を掴む。強く握りたかったのに、力が入りませんでした。
「騒がしいですね、どうしました」
蘇芳の声。真朱達が道を開けます。蘇芳は安隨先生を見て驚いた様子でしたが、何も言いませんでした。
「蘇芳はん、検査の結果と今後の治療方針について、研究室でゆっくり話せますやろか」
先生が微笑みます。
「・・・ええ、そうしましょうか」
蘇芳は、頷きました。


ずっとお腹が熱いのが続いています。僕は寝台に身体を沈めて、目を閉じていました。お腹にあてた手に、何かの、生々しい鼓動が伝わってくる。この生き物の大きさと形が、わかるような気がしました。



誰かが触れる感覚に、僕は目を覚ます。眠ってしまっていたようでした。
「・・・せんせ」
安隨先生の手。先生が僕の着物を脱がせます。僕は裸になりました。ひんやりと冷たい手が耳の下を進んで、枕と僕の頭の間に入る。鼻と口を覆っていた布が外されました。僕は部屋の隅に真朱達を見る。蘇芳もいました。眠っている間に、何か取り決めがあったのかも知れないと僕は思いました。誰も何も言わずに、先生と僕を見ています。
「少し、口を開いて」
先生の指が僕の唇を撫でる。僕は薄く口を開きました。先生の顔が、近づく。鼻先がくっついて、あのいい匂いがする。先生の匂い。僕はうっとりしました。先生の唇と僕の唇が触れる。舌が口の中に入ってきて、ちゅくちゅくと音を立てて僕の中で動く。唾が甘くて、僕は与えられるそれを何度もこくんと喉を鳴らして飲みました。
「ちゅ、は、ぁ、あ、ぁ・・・ひ、ん」
先生の匂いを吸ったときと同じ、でも比べものにならないくらい、お腹がどくどく熱くなって、おちんちんはびくびく痺れました。怖いのに。
「もっとしてくださぃ・・・」
僕は先生の首に手をまわす。先生の舌を吸って、舐める。気持ちがよくて、死んでもいいと思いました。どれくらいそうしていたかわかりません。目を閉じて、与えられるまま、僕はそれを堪能する。
「ぁ・・・っ」
唇が離れて、先生の手が僕のおちんちんを包みました。
「ひぁぁ」
ふにふにと手の中で転がすようにもまれて、僕は腰を浮かす。
「・・・唾液じゃ閾値を超えへんのかも、ゆうんは、僕がそれを望んどるせいで浮かぶ仮定なんやろか」
先生が呟くように囁きました。何のことかわからずに、僕は先生を見る。先生も僕を見ました。青い瞳に、僕が映っています。先生はいつもと少し違う表情。僕はどきどきして、目を反らしてしまいました。
「煽ったらあかんよ・・・。優しゅうできひんようなる」
先生が離れる気配。
「きゃ、ぁ、・・・」
くらくらして、おちんちんがびりびりします。何が起こったのか、わかりませんでした。
「兪丹」
先生が僕の名前を呼ぶ。身体を起こして、先生は上着を脱いだようでした。下穿が寛げられていて、肌と毛が見える。先生の、おちんちん。大きくて、僕のとは色も形も違いました。先端から透明なお汁が垂れる。僕は動けなくなって、息をすることしかできません。口元に、おちんちんがあてがわれました。鼻をすりつけたくなるようないい匂いがしています。お腹の中で、生き物がぐねぐねと動いているのがわかりました。僕と同じで、きっと興奮してる。欲しくて、堪らないのです。先生が僕の髪を撫でました。口の中が涎でいっぱいになる。僕はゆっくり、おちんちんの先に唇をつけました。舌先を出して、お汁を舐める。思ったとおり、甘い。僕は先の部分を舌で擦って、口に含んで、吸う。夢中になってしゃぶる。先生は気持ちよさそうな顔。嬉しくて、先生の反応を見ながら舌を這わせます。先生の眉根に、ぎゅっと皺が寄りました。
「・・・っ、は、飲んで」
先生がぶるりと身体を震わせる。口の中に、どろりとしたものが放たれました。何度も断続的に吐き出されるそれが、僕の口の中を満たす。先生の、精液。もっと飲みたい。僕はうっとりと味を反芻します。お腹の生き物はずっと熱くて、蠢いていました。
「ふぇ・・・ひゃ、はぁぁぁ・・・」
生き物が、びくびくと激しく動く。お股がむずむずして、身体が痙攣します。僕は咄嗟に傍にあった枕を掴んで、ぎゅっと抱き締めました。
「ゃ、ゃぁぁっ・・・ひぅ、ひぅぅん・・・っ」
温かい液体が勢い良く溢れる。僕は、おしっこを漏らしていました。おちんちんが暴れて、止められません。四方へ飛び散って、自分の身体は勿論、先生にもかかっています。あっという間でした。敷布は腰、腿の下でぐっしょりと湿っています。放心していると、先生が濡れた腕を舐め上げるのが見えました。
「・・・流石神さん。旨い酒ぎょうさん振り撒いて、派手なもんや」
降りてきはったよ、と先生が言う。あの生き物はもうお腹にはいませんでした。おちんちんが心地よく痺れています。先生が触れる。気持ちよくて、僕は我慢できずに腰をくねらせました。




父は名医だ。どんな病も治す蘇芳の医者。子どもの頃は、私も弟も憧れた。今はどうだ。私は、父の跡を継ぐことを義務としか思っていない。早々に村を出た弟は、自らの生家を、父の行う医療の多くを、知らぬままに死んだ。

私が、殺した。



「染次の死体はどうした」
父が言う。私は受け取った父の面を手に、梯子を登った。布で拭い、いつものように壁にかける。黒い炭の壁に不気味な翁の面が浮かんだ。天下太平、五穀豊穣、子孫繁栄を願い、父は、代々の当主は皆、舞ってきた。この村の人間のため、各地の支援者達のためだ。舞い、薬を鬻ぐ。蘇芳には臙脂の者を養う義務があり、それはいずれ私の役目となる。
「絹衣の墓の横に埋めさせました」
振り返らずに私は答える。臙脂の者の墓など、墓と呼べた代物ではない。染次は蘇芳の人間でありながら、その身分を落した。先に埋められている夥しい数の臙脂の者の死体を掘り返すことにさえならなければ裏山のどこでも良かったが、わざわざ隣に眠らせたのは、兄としてせめてもの情だった。
「絹衣には申し訳ない事をした」
心にもないことを。父の声は笑っていた。見ずとも私の脳裏に浮かぶ薄ら笑いは、面のそれと良く似ている。壁にかかるその翁の面は、いくつもの猩々の面に囲まれている。赤く塗られた、おぞましい化物の面だ。正に父、蘇芳の当主を象徴していた。能の演目いわく、猩々とは海からやってきた酒好きの妖精だと言う。遥か昔、ただの杜氏だった蘇芳と臙脂の一族を狂わせた元凶、真朱だ。社に巣食う不老不死の女。実際には女ではないのかも知れなかった。不死というのも定かではない。老いることのない彼女らだが、いつの間にか世代を繋いでいる。その新陳代謝がどのように行われているのかを、知る者はいない。知ってはいけない。
「しかし、兪丹を生むのが臙脂の女の務めだ。それも、臙脂の女の中でも若く美しい、選ばれた女だ。効能や副作用の不明な薬をその身を持って試す、臙脂本来の役からは外されるのだから、好待遇と言っていい。娘の親には特別の褒美もある。この幸運に二度も恵まれるなんて、こんな栄誉は他にない」
成程。一度ならず二度までも。好いた男のいた女には耐えられたものではない。兪丹を孕むということは、兪丹の種を飲んだ女が男の精子で妊娠するということだ。女が臙脂の者である必要も、男が蘇芳の当主である必要も、理論上はない。だが、ここではそうと決められているのだ。私はなぜ絹衣が自殺したのかを知った。
「絹衣は、種を飲んでいたのですか?」
兪丹の種は、死んだ兪丹の睾丸を干したものだ。乾燥した皮膚が自然に剥がれ、現れる宝石のような赤い塊。種は、数に限りがあるため貴重だった。
「否。臙脂の当主に飲ませるようにと伝えたその日に死んだからね。正しい判断だよ。飲んでから死のうものなら、私は絹衣の両親を嬲り殺しただろう」
笑う。この男も、まごうことなき化物。
「薬を補充してくれ」
重い木箱を受け取る。明日の昼、父は再び興行に出て行くことが決まっていた。父が背負うこの薬箱の薬の補充は私の仕事だ。私の仕事。村の人間に薬を与え、年に数度の神事を取計い、真朱を使役し監視する。臙脂の者で新しく調合した薬を治験しながら、飼育する兪丹があればその守を。私には幸い、その能があった。厳しい父が私を認め、これらのあらゆる重要な役を私一人に任せきりにする程度には。
「兪丹の調子はどうなんだ?普通ならもう収穫している頃合だが」
「・・・まだです。経過は順調ですよ。真朱は大きな卵が期待できると喜んでいます」
それは良い、と父。
「淫魔の丸薬の入荷を切望する客は少なくない」
言い残し、蝋燭を手に暗い廊下に消えた。湯殿へ向かったのだろう。

父は一度興行へ出ると数ヶ月戻ることはなく、戻ってもまたすぐに村から出て行くことが多い。兪丹の様子も変わりのないことを伝えれば、社に立ち寄ることも稀だ。安隨葦能の存在を父に隠すのは容易い。


私は、蘇芳の次期当主だ。




安隨が数日に渡り何度も研究室に忍び込んでいたことに、迂闊にも私は気づかずにいた。屋敷中にいる真朱の目を掻い潜って、そう易々と辿り着ける部屋ではない。私が安隨を見つけた日、彼は僅かも狼狽える様子はなく、寧ろ私を待っていた様にすら見えた。私は安隨を牢に捕えた。兪丹が死ぬまでは薬を調合したいと彼は言い、私もまた彼の作る薬が必要だった。限界まで延命した兪丹の姿を、私はこの目で見たかった。

牢の中で安隨は、薬を調合していただけではなかった。牢を壊し、兪丹と真朱の前で今後の治療方針を話したいと言った安隨が牢の暗がりから取り出したのは、一つの硝子瓶だった。私が持たせたものではない。彼の薬棚を確認した際には、そのような物はなかったと記憶している。何度も研究室に侵入していた彼のことであるから、周到に準備していたと考えるのが妥当だろう。

差し出された瓶の中は水で満たされ、蛞蝓らしき生き物が一匹あった。硝子のように透き通る赤い生き物を見て、私はすぐにそれが酒膠蟲であるとわかった。記録は少なく、また生きている酒膠蟲を見るのは初めてだった。その生態を研究しようにも、卵である丸薬からも、また兪丹の種からも孵化させらずにいた。
「どうやって、これを?」
「この部屋の大方の資料は見さしてもらいました。新しい記録は蘇芳はんのですやろか」
私は頷く。安隨は、前提が間違ってはりますと言った。
「この蟲は蛞蝓やのうて、海牛に近いもんなんですわ。せやから、孵化させたかったら塩水にいれてやらんと。この辺りは山やから、塩湖でもあったんと違いますやろか」
首を振る。聞いたことがなかった。
「・・・まぁ、ええですわ。ここに唾、入れて欲しいんですけど頼めます?」
安隨が瓶を指差す。私は唾液を水に落とした。暫く観察するが、変化はないように思われた。同じように安隨もまた唾液を垂らした。数秒も経たぬうちに酒膠蟲はのたうち回り、その体から汁を出した。私の服に飛び、染み込む。色はない。酒精の香りが漂う。
「海牛は普通、雌雄同体です。この種が何かしら特殊な事情があって異体やったとしたら、雄は何色や思います?」
赤々と輝いて、酒膠蟲は痙攣していた。




降りてきはったよ、と安隨が言う。あの蟲のように尿を噴いた兪丹。小さかった睾丸は、桃の実ほどの大きさに膨らんでいた。

真朱が部屋の明りを灯している。気が付けば、窓の外は薄暗くなっていた。安隨は兪丹に深く口づけている。漸く唇を離して上体を起こした安隨を見る兪丹の瞳は、艶めき、濡れていた。
「・・・とろとろやね」
安隨が兪丹の下腹を見やった。兪丹の白い股の間、たぷりと重そうな睾丸の上部、小さな性器が粘液に塗れていた。幼い肉が性感に血を集め勃起し、濡れそぼるほどの汁を漏らしている。その淫蕩さたるや。
「きゃぁあ、ひ、はひ・・・ぁぅ、ぁぁん・・・」
安隨の手が兪丹の性器を包んだ。くちゅんくちゅんと音を立て、ゆっくりと扱く。兪丹はぶるぶると大きく腰を震わせ、息をつめた。恐らく初めて受けるであろう手淫に、びゅ、びゅる、と呆気なく射精する。
「はぁ、はぁ、はぁぅ・・・」
恍惚の表情。寝台の上で身悶える。兪丹の薄い腹の上、精液に混じって宝石のようなまるい珠が三つ、転がっていた。真朱が色めく。通常のものより二回りは大きい、酒膠蟲の卵だった。



「ひ、ぁぁぁン・・・っ」
下腹を痙攣させ、爪先を丸め、兪丹が三度目の射精をする。寝台に転がった珠を安隨が拾い、真朱の掲げる水を張った器に入れた。珠の数は、十を軽く超えている。安隨のもう片手の指は、伝い垂れた体液でしどどに濡れた兪丹の孔に埋まっていた。
「可愛い。お尻、気持ちええね・・・」
安隨が囁く。兪丹はとろりと微笑んだ。
「きもちぃ・・・、せんせ、もっと」
安隨は兪丹の睾丸を撫で、そのままその下に手を差し入れ持ち上げた。安隨の指に支えられたそれは、重たげに柔らかくたゆむ。安隨は転がっていた珠を一粒摘み、口にした。



甘い声が響いている。寝台を囲む真朱達は珠を拾うのも忘れ、交わる安隨と兪丹に魅入っていた。小さな桜色の唇から涎を垂らし、兪丹は自らの性器を手で包みゆっくりと擦っている。
「ひぃ、ぁ」
刺激が強すぎるのか時折手を離し、濡れた睫毛を震わせた。
「ん、ん・・・・・・ぁぁぁっ!きゃふぅん・・・はひ、はひぅぅぅん・・・!」
ちゅぼぼ、と音を立てる。横たわり後ろから兪丹を抱きすくめる安隨のそれが、また孔に埋まったのだとわかった。慣らすように何度も、安隨は出し入れを繰り返している。兪丹は気持ち良さそうに身体をくゆらせて、いやらしく腰を捩った。ぷちゅくぷちゅと粘液を纏った珠が、幼い性器の先端から零れ出る。
「ふ、ぁ、ぁ、ら、めっ、らめぇ・・・っ」
安隨が溜め息を吐く。
「そない気持ち良さそうな声で駄目言われても・・・。ゆっくり慣らそう思てたけど、こんなん僕が辛抱堪らん」
腰を引き、律動し始める。
「ぁっ、ぁっ、ん、きゃぅ、う!らめぇ、ゆにの、ゅにのおちんち、こわれちゃ、こわぇちゃぅ」
ぽろぽろと涙を流した。性器は絶えず珠を排泄し続けている。安隨の与える刺激に合わせて、珠の上りが激しくなっているようだった。白くほっそりとした、それでいて肉付きの良い下肢を強張らせ、兪丹は震えた。
「きゃ、ぁ、ぁ、ふぅ、ぅ、ゃぁぁ、ぁんんっ!ぁぁん、ぁひ、ぁ、ぁっ、んン、ぁ、ぁあーーー!」
甘ったるい声を上げる口の中、赤い舌がのたうつ。びゅくん、びゅくんと多量の珠と汁を何度も激しく噴き上げた。
「ふ、くふ、くふぅん、ひ、は、ぅ・・・ぅ、ゅ・・・」
幼い性器は硬度を失いたらりと垂れた。尾を引く快感なのだろう、兪丹の身体はなおも痙攣している。大きく膨らんでいた睾丸は、元の大きさになっていた。ずるりと安隨が性器を抜く。二三度自らの手で扱き、射精した。卵が一粒、精液に浸る。目が合った。私の考えを見抜き、安隨が苦笑する。
「受精卵にはならへんよ」




清潔に整えられた寝台の上で、真朱達に身体を清められた兪丹は、幸せそうに安隨の腕の中で眠りについた。

こんなことは、未だ嘗てなかった。私達は兪丹を育て、その体内の蟲を育てる。宿主である兪丹の精通の後、精液を糧に育った蟲は兪丹の身体を蝕み、兪丹は死ぬ。殺すことを前提に、私達は兪丹を育てる。先達の記録にも、記されている。死んだ兪丹の腹を裂く。卵を抱えまるまると太った蟲を、取り出すのだ。

蟲。

「・・・蟲は、今どこに?」
兪丹の髪を撫でる安隨に問う。
「もうお腹の方に戻ってはるやろね。次の卵作るんに、また時間が必要や」
殺したらあかんよ、と安隨が静かに言った。


10

「これは凄い」
大粒の、それも多量の卵に、帰って来た父は感心しきりだった。
「これ程までとは、此度の兪丹、一目見ておくべきだったか。・・・他の兪丹と異なる点は寿命だけだったのか?」
「蟲を長く腹に宿していたせいで酷い体調不良を訴えてはいましたが、その他は特に変わりありませんでした」
「そうか。長い年月を経て、蟲も進化しているのかも知れんな。兪丹の種の方はどうだ?」
「こちらも特に変わった様子はなく、社の祭壇にて乾燥させています」
父の薬箱を確認する。やはりそうだ。
「父上、薬の売れ行きは芳しくないのでしょうか」
父は黙っている。いつの頃からか、薬の減りが少なくなっていた。父が時折真朱を痛めつけているのも、このせいだろう。鬱憤を晴らしているのだ。
「・・・お前が気にすることではない。私は今晩社へ行く。真朱どもに伝えておけ」
承知致しました、と私は言う。私の準備は万端だった。気を抜けば、笑い出してしまいそうだ。





異変に気づいた村人達の声を背中に聞きながら、私は社の裏を歩いていた。直ぐに、消火活動が始まるだろう。山の獣道をひたすら登った。山頂へ続くかと思われた道は途中で脇に逸れ、私は大人の男の背丈程の横穴の前に辿り着いた。洞窟だ。興味深く、手元の洋燈を頼りに中を進む。僅かな勾配だが下っているらしかった。




開けた場所に出る。湖らしき水の溜まりがあった。生物の姿はない。揮発する成分を警戒するが、こちらも特に問題はないようだ。金属製の洋燈の底、そして着物の一部を僅かに水へ付け、それぞれ変化を見る。問題のないことを確認し、私は指を水に付け、舐めた。


顔を上げる。周りを今一度眺め、対岸に何かあることに気づいた。くたびれた木箱のように見えたそれは、近づいてみれば小さな祠であることがわかる。

瞼を閉じると、赤い色が見えた。

揺らめく、火の赤だ。廉価な油だが、良く燃えた。私が放ち、父と真朱が眠る社を包んだあの炎は、今までに見たどんな赤よりも美しかった。



否。


兪丹の瞳。あの赤よりも美しい赤はない。


私の息子。


幸いなことだ。

今頃は安隨と共に、初めての汽車に乗っている。



私は塩辛い指を、もう一度舐めた。


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