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蛇苺



本社から電車を乗り継ぎ2時間弱。駅を出た男は町を通り過ぎ、山へ向かうような形で湿度の高い苔むした細い獣道に入った。仄暗い森林。地面を這うように蛇苺が繁茂するこの道は、ある小説家の屋敷へと続いている。

男の仕事は編集者だ。名を安西と言う。


鬱蒼とした森の中の和様の屋敷は、病的なほどの耽美を孕んでいるように感じられた。扉を開け、靴を脱ぐ。挨拶はいらない。屋敷の主が返事をしないことはわかっていた。安西は靴を揃え、屋敷に足を踏み入れる。

本棚に納まりきらない書物が床に積み上げられた書斎に、屋敷の主であり安西が担当する小説家、蛇塚弌(へびづかはじめ)はいた。
「蛇塚先生、安西です。原稿を受け取りに参りました」
書き物をする背中に声をかける。
「そこに」
ぎ、と僅かに椅子を回転させ、弌は振り向いた。棚の上の原稿用紙を指差す。藍に染められた麻の和服。近寄り難く感じられるほどの端正な貌。膝の上には、8歳になる弟の瑞樹(みずき)の姿がある。

本来ならば小学生の瑞樹だが、学校へは通えていなかった。瑞樹は頻繁に高熱を出す。医者に処方してもらっている薬も、気休めにしかならない。過去に様々な病院で検査をしてもらったが、原因は不明だった。寄せては返す波のように身体を襲う高熱は、幼い瑞樹に死を覚悟させた。

いつ死んでもおかしくないと自覚している瑞樹は、殆ど常に弌にくっつき甘えている。そして、安西が見ているにも関わらず、弌はしばしば瑞樹のその白い膚に唇をつけた。その様は、何か神聖な儀式のように静謐で厳かだ。


「では、原稿を、・・・」
原稿に手を伸ばした安西は、小さく椅子の軋む音を聞いた。見れば、瑞樹が甘えるように弌に抱きついている。万年筆を滑らせている手を止めて、弌は瑞樹の白い頬に唇で触れた。


小説の一場面のようだ、と安西は思う。




現在25歳の弌は、大学2年の時に小説家としてデビューした。大学に通う傍らに執筆した小説が、安西の務める出版社である亀谷社の公募新人賞を受賞したのがきっかけだった。弌は受賞を知らせる電話にて、素性は一切明かさず活動したいと言い、ペンネームは蛇とした。今では処女作と位置付けられているその受賞作は文芸雑誌に掲載され、大きな反響を呼んだ。蛇は謎の新鋭幻想文学作家として文壇に風聞を立たせた。


安西は原稿を鞄にしまう。不意に疑問が過った。
「・・・何を書いているのですか?」
弌は他社とは契約をしていない筈だった。次回作の構想だろうか、と安西は思う。
「童話を」
弌は言った。蛇は絵本作家でもある。弌本人はともかく、世間では弌の書く童話は、弌が平生書いている幻想文学にカテゴライズされる小説を、内容と語彙の面で幼い子どもにも理解できるようにしたものと認識されている。そして、物は絵本。表紙の装丁は全て黒地に銀の文字と揃えられ、文字の他には染み一つない蛇の書籍の中で、唯一挿絵が入るもの。弌の格調高く閑雅でどこか物憂い物語には、挿し色の美しい幻想的な挿絵が添えられた。その挿絵目当てに、絵本を買い求める美術界関係者もいると言う。


「それなら、こちらで画材を手配しますが。何か欲しいものはありますか?」
考える気配。安西は手帳とペンを手元に用意した。
「テンダー社製のボトル入り透明水性インクのシアンを3本とマゼンタが2本。クライム社製の油性ペン黒の1.5ポイントを1本。・・・以前使った際に切らしてしまった」
紙に書き留める。
「わかりました。次回、打ち合わせを予定している2日後にお渡しできるようにします」


蛇の絵本に挿入される絵を描いているのは、他ならぬ蛇自身だ。




弌の父は現在も活動している画家だ。母を早くに亡くしており、大学に進学し上京するまで弌は父と2人で森の屋敷に棲んでいた。弌が大学を卒業し、屋敷に帰った3年前の夏、弌の父は再婚した。弌と瑞樹の血は、繋がっていない。画家である弌の父と女優だった瑞樹の母が再婚して、2人は兄弟になった。

最初は戸惑いを見せたものの、5歳の瑞樹は弌を受け入れた。おにいちゃん、と弌を呼ぶたび舌に甘さを感じ、瑞樹の胸はとくんと跳ねる。母ではなく、兄にだっこをねだるようになるのは時間の問題だった。

小説を書く兄にくっついて一日を過ごすのが瑞樹の日常と化した頃、弌の父と瑞樹の母は消えた。瑞樹の病に関する書類と屋敷の権利書だけが、書斎の机に置かれていた。弌は悟る。彼らが屋敷に帰ってくることはない。



「・・・おにぃちゃん、あのあかいの、なに?」
高熱にくったりとし、布団に横になっている瑞樹が弌に尋ねた。弌は瑞樹の視線を追って、森を見る。蛇苺だった。その語源は「こんなものを食べるのは蛇ぐらいだろう」という意味だと弌は聞いていた。蛇苺は味がなく、不味い。
「蛇苺だ」
「いちご・・・?」
頷いた弌に、瑞樹は瞳を輝かせた。
「・・・言っておくが、食べられはしない」
どうして、と瑞樹は思う。
「どくがあるの?」
瑞樹が蛇から連想したのは、毒。弌は苦笑した。そんな大層なものじゃない、と言葉を続けようとして口を噤む。瑞樹の瞳の輝きをうっそりと見つめ、声を低めて言った。

「どうして蛇苺が食べられないか?・・・それにはこんな話がある」



森の蛇は、肉を食べて生きていました。蛇はあまり空腹を感じることがありません。時々ふと思い出したように、眼についた柔らかな動物の肉を食らいました。
ある日、蛇は変わった肉を見つけました。いつも食べている毛むくじゃらの肉ではなく、宝石のように赤くひかる、瑞々しい膚をもつ肉でした。蛇が名を問えば、蛇苺、とその肉は答えました。蛇は飽きもせずその瞬きすることのない眼で、蛇苺を見つめて過ごしました。

蛇は、蛇苺の虜でした。



弌が高熱を出す瑞樹に語って聞かせた最初の物語の冒頭であり、蛇が初めて発表した絵本の冒頭でもある。

弌の童話は、瑞樹のために生まれた。




「安西さんお疲れ様です。その鞄の中に蛇の新作が?」
帰社した安西に、後輩にあたる東山が駆け寄った。里中もキーボードを叩く手を休め、顔を上げる。
「早かったな、安西」
「ええ。毎度の如く、行ったら用意されていましたから」
鞄から原稿の入った封筒を取り出し、デスクに置いた。椅子を引いて座る。安西のデスクは里中の隣だ。
「蛇の生原稿・・・。蛇は手書きなんですよね、しかも万年筆。・・・今回はどんな小説になってるんでしょう」
冷静を装いながらも興奮している東山に、安西は微笑む。
「本当にどうなっているんでしょう。検討もつきません」
楽しそうな安西。東山は首を傾げた。
「安西さん、検討もつかないってどういうことですか?」
「東山、こいつはな、蛇の作品には一切触ってないんだ」
里中の言う通り、安西は蛇の作品には一切触れていない。安西は、蛇に原稿の期日を伝え、受け取り、少し入手が困難とされる画材を調達するだけだ。構想を一緒に練ったり、原稿に赤を入れたりすることはない。
「蛇は仕事の面でまこと完璧ですから」
厳しいと作家たちに恐れられている人間が、手放しで認めている。満足げな表情の安西に、東山はただただ驚くしかない。
「推敲の鬼と呼ばれている安西も出る幕なしということだ」



2日後、安西が屋敷を訪ねると、書斎に弌の姿はなかった。画室である隣の部屋も空だ。瑞樹が熱を出したのだと安西は悟る。2人は寝室にいるのだろう。
こういった場合、安西は出直すことにしていた。締め切りを伝えたいだけの時など、書置きを残して退出する。蛇だからだ。安西は他にも作家を担当しており、彼らには編集者として意見する。しかし、こと蛇に関しては、作品を作者である蛇の望む状態で発表することだけが編集者としての自分の仕事だと考えていた。干渉は最低限に抑えている。
安西は手帳を出した。ついこの間最新の機器を導入したと言う印刷所との会合が、3日後に控えている。画材は屋敷に置いて行けばいいが、絵本の制作過程についてはある程度把握しておきたい。安西の足は、いつもなら入ることのない寝室へ向かった。


襖を隔てた先には寝室。瑞樹の小さな声が聞こえた。
「おはなしして・・・」
何がいい、と弌が問う声。安西は襖を開けられずに、息を潜めた。
「・・・さばくのおうさま」
一拍の間を置いて、弌は物語を紡ぎ始めた。安西は、実在したエジプトの王の逸話を元にしていることに気づき、鳥肌を立たせた。何のことはない逸話だった筈だ。

蛇の言葉と韻で語られる砂漠の王は、酷く美しい。





安西は森を歩いていた。物語に引き込まれた安西は、密かに最後まで聞いた。物語が終わっても襖を開けることは憚られ、画材を置いて退出した。息を吐く。路傍に蛇苺が実っているのが目に入った。
「蛇苺・・・絵本にするのをためらうような結末でしたっけ」


蛇が蛇苺の傍にいるようになって暫く経ったある日、甘い香りが蛇の鼻孔をくすぐりました。香りは、蛇苺から漂っています。蛇苺の肉。そう思うや否や、蛇は蛇苺を食べていました。口の中で、甘い肉がとろけます。

蛇が辺りを見回すと、いくつもの蛇苺がありました。蛇はさっそく、ひとつの蛇苺を食べました。甘さなどありません。蛇はわけもわからず、辺りの蛇苺を食べ尽くしました。全て、無味でした。

なぜあの蛇苺が甘かったのかもわからないまま、蛇は甘い蛇苺を求めてさまよいます。



真夜中、目覚めた瑞樹の隣には眠る兄がいた。死を免れ、まだ生きている。瑞樹は涙を流した。また、兄に触れることができる。嬉しくて兄に身体を寄せた。兄、弌も目を覚ます。瑞樹の額に手を触れた。安堵の息を吐く弌に、瑞樹の心は震える。
「おにぃちゃん・・・おふろにいれて・・・」
長いまつげに縁どられた美しい黒の双眸が、弌を見つめた。


蛇は甘い蛇苺を食らう。この蛇苺はなぜ、こんなにも甘い。


ちゃぷ、ちゃぷ、と音がする。たっぷりのお湯が張られた湯殿に浸かった弌の膝の上で、瑞樹はその幼い身体を揺らしていた。
「・・・ぁ、ぁ・・・おに、ちゃ・・・」
弌はぴんと尖った小さな桜色の乳首に舌先で触れる。柔らかな尻の肉を揉んだ。
「ひぁ、ぅ・・・・・・」
弌がうっすらと薔薇色に染まった頬に唇をあてると、瑞樹は甘えるように弌の首に腕を回した。
「・・・いっぱい、ぐちゅぐちゅ、して・・・」
おねがいなの、と吐息交じりの恥じらう小さな声。弌は鎖骨を覆う膚を甘噛みする。いやらしく震える腰に、手を添えた。優しく突き上げると、瑞樹は切なげに鳴く。
「ぁ、ゃ、ゃぁん・・・きちゃ、きちゃぁ・・・」
つま先が伸び、痙攣した。花の蕾のような瑞樹の性器は、まだ未成熟で射精できない。
「んん・・・・・・ひ、ぁぅ・・・」
息をつめて、瑞樹はお尻だけで絶頂を極めた。ひくひくしながら、ぺったりと弌に凭れかかる。水で膚が密着した。
「っ、は・・・」
びくっと中で震えた性器が、種を吐く。
「ん・・・おにぃちゃ、の・・・」
とろけそうな貌で身悶える瑞樹。弌はその唇を塞いだ。

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